2019年9月にAIで美空ひばりさんの歌声が復活しました。
ただ、過去の曲をAIが歌うというわけではなく、改めて新曲を歌うという世界初の試みがされました。
この新曲はあのAKB48などをプロデュースした秋元康が作詞されています。
今回は、
- 秋元康と美空ひばりの関係
- 美空ひばりAIの新曲である「あれから」の歌詞の意味
- 歌詞が作られる語られた物語
についてご紹介したいと思います。
美空ひばり「あれから」の歌詞
美空ひばりAIが歌う「あれから」の歌詞はこちらです。
+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+
夕日がまた沈んでいく
あっという間の一日
どこかに大事な何かを
置き忘れたような自分の影地平線は変わらないのに
静かに移ろう景色
生きるというのは別れを知ること
愛しい人よあれからどうしていましたか
私も年をとりました
今でも昔の歌を
気づくと口ずさんでいます振り向けば幸せな時代でしたね
+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+
いくつか星が煌(きら)めいて
後悔さえ美しい
今日できなかった何かが
明日はできるような気がして来る長い道を歩き続けて
ようやくたどり着けそう
うまれた瞬間(とき)から追いかけて来たのは
母のその背中あれから元気でいましたか?
随分月日が経ちました
何度も歌った歌を
もう一度歌いたくなりますそう誰も大切な思い出が人生
+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+
おひさしぶりです
あなたのことをずっと見ていましたよ
頑張りましたね
さぁ私の分まで
まだまだ頑張って
+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+
なぜだか涙が止まらない
心がただ震えていますあれからどうしていましたか?
私も年をとりました
今でも昔の歌を
気づくと口ずさんでいます振り向けば幸せな時代でしたね
曲だけでなく、歌詞を読んでいるだけでも思わず涙が出てきてしまいますね。
それでは次に、この歌詞ができる裏話的なのをまとめていきたいと思います。
秋元康が「あれから」を作詞した理由は?
最新のAI技術によって、美空ひばりさんを現代に蘇らせるというプロジェクトを聞いた秋山康さんは、生前のひばりさんのイメージで勝手に作ってもいいのかと最初は悩んだそうです。
しかし、「美空ひばりさんにもう一度会いたい!」という人たちの熱意に押され、美空ひばりさんの作詞とプロデュースをされることになりました。
ところで、なぜ秋山康さんが新曲の作詞を書くことになったのか?
それは、美空ひばりさんの最期の曲「川のながれのように」の歌詞をつけておられたからです。
上の動画は、1989年(平成元年)1月のものと思われます。
表舞台で最後に歌ったときの映像です。(1989年6月24日に亡くなられました)
美空ひばりさんは昭和の歌姫と呼ばれており、名曲も大変多いです。
その中でも「川の流れのように」は、サビの「ああ川の流れのように」のフレーズの心地良さに加え、美空ひばり最後の曲ということもあり美空ひばりの代表曲として人気です。
そういった美空ひばりの最後を飾った曲にかかわったということ、そして現在も現役で企画をプロデュース&ヒットさせまくっているということもあり、秋山康さんに新曲の依頼がありました。
秋元康と美空ひばりの関係は?「川の流れのように」秘話
美空ひばりさんの楽曲に関わったきっかけは?

30年ちょっと前、おニャン子クラブの楽曲を手掛けるなど、当時20代の売れっ子の放送作家・作詞家だった秋元康さん。
実は、ある方を秋元さんがプロデュースしているときに、美空ひばりさんの曲を出している「コロムビアレコード」の人に、
次誰をやりたいですか?(誰をプロデュースしたいですか?)
と雑談の中で聞かれたそうです。
「どうせやるんだったら、日本一歌が上手い美空ひばりさんかな〜」
と秋元さんはポロっと言ったそうです。
このことを美空ひばりさんのスタッフの方に言ってくれたそうで、秋元さんが美空ひばりさんの楽曲に関わることが決定しました。
しかし、途中で美空ひばりさんが病気になられて話がいったん流れてしまったそうです。
ニューヨークへ行った秋元康
高校時代のアルバイトの延長上で仕事をやっていたそうで、これから今の仕事でやっていてもいいのかという疑問を持っていたときのこと。
ちなみに、中央大学文学部を中退されています。
今の自分を見つめ直そうと仕事を辞め、ニューヨークに行っていたそうです。
そんなときに届いたのが美空ひばりさん新曲の依頼です。
美空ひばりさんが復活して東京ドームで不死鳥コンサートをやるので、そこに来てください!
そのエンディングにコーラスだけの歌があるので、そこでその詞を書いてください!
という依頼内容だったそう。
これが後の「川の流れのように」の依頼です。
「川の流れのように」制作秘話
日本に帰りたいな〜という故郷への思いがあった秋元康さん。
秋元さんが住んでいたマンションからは、イーストリバーが見えていて、その川を見てこう思ったそうです。
「この川も海に注いで日本につながってるんだなと思って切なくなった」と。
そういった思いが頭の中に残っていたある日のこと。
ニューヨークの喫茶店に行って、美空ひばりさんの曲の歌詞を書き始めたときに「応援歌」を書こうと思ったそうです。
美空ひばりさんが何を言ったら、日本中の人は勇気づけられるか?
人生なんて川の流れのようなものだから、大丈夫よ、となんか言ってくださったらいいんじゃないか?
と、このとき美空ひばりさんの曲の方向性が決まったようです。
いつも作詞をする際は、歌詞を書いてからタイトルは一番最後に作るそうなのですが、
「川の流れのように」はタイトルから頭に浮かんだそうです。
秋元康が「あれから」というフレーズを選んだ理由は?

「川の流れのように」に対する思い入れが大きい秋元康さん。
「川の流れのように」を作詞した同じニューヨークのカフェで、当時の気持ちを思い返しながら、美空ひばりAI復活プロジェクトの新曲の歌詞を書くことに。
「川の流れのように」の作詞は秋元康さんの人生のターニングポイントでもあり、すごく思い入れがあるようです。

思い出すのは、僕がまだ20代のころ、駆け出しの作詞家・プロデューサーだった僕に、ひばりさんは「あなたが失敗しようが美空ひばりはなにも変わらない。だから思う存分やりなさい」と言ってくださったこと。今回のAIプロジェクトも、「あら、おもしろいことやるのね」と受け止めてくださっているのではと思い、お受けしました。
出典元:NHK
美空ひばりさんが当時20代の秋元康さんへ強い信頼があったことが分かりますよね。
実際に歌詞が完成してから、美空ひばりさんから「『川の流れのように』いい詞ね」と高評価を得られたことで、作詞家秋元康として名乗っていこうと決めたそう。
だからこそ、秋元康さんは美空ひばりさんの新曲の歌詞を何度も何度も書き直し、20回以上書き直しの末、歌詞が完成されました。
あれからに込められた思いとは?
このとき頭の中をグルグル回っていたフレーズがありました。
それは「あれから」というタイトルにもなった言葉です。
「あれからもう30年経ったのか」という時の流れを感じさせるフレーズです。
美空ひばりさんがなくなって30年という世間の思いも含まれているでしょうし、
秋元さんとしては、自分の人生を大きく変えるきっかけとなった「川の流れを作詞してから30年」という思いもあるでしょう。
人一倍、美空ひばりさんとの「あれから」への思いが強い秋元康さんは、今回大きな試みに挑まれました。
その試みが「語り」です。
おひさしぶりです
あなたのことをずっと見ていましたよ
頑張りましたね
さぁ私の分まで
まだまだ頑張って
という部分です。
AIが歌うということで、技術的に難しいとされてたセリフを曲に入れるということへの挑戦をすることになったのですが、AIプログラマーを苦しめることに….
▼AI美空ひばりの歌声の制作秘話はコチラで詳しく書いています▼
それでも、秋元さんは
今この時代にひばりさんが
あれからいろんなことあったけどすっと見ていたわよ
ひばりさんが空の上から「私の分まで頑張って」と言う
それが一番伝えたかったところなので、
ひばりさんから「よく頑張ったわね」と言われたら
日本中がまだ頑張ろうと思えるし
語りがこれハマるか
と「語り」の部分が全てを決めると思っておられたようです。
蓋を開けてみると、まるで美空ひばりさん本人がセリフを言っているようで、多くの人の感動を誘うことに。
私自身、この語りにやられてしまいました(泣)
美空ひばり「あれから」の歌詞には技巧が施されていた?
私は素人ですが、美空ひばりAIが歌う「あれから」のテクニックはすごいと感じてしまいました。
本当に巧みな技だと感じたところはどういうところかというと、歌詞が「美空ひばりさん目線」でもあり、「美空ひばりさんを好きな人の目線」であるというところです。
例えば、
あれからどうしていましたか
私も年をとりました
今でも昔の歌を
気づくと口ずさんでいます
だったり、
あれから元気でいましたか?
随分月日が経ちました
何度も歌った歌を
もう一度歌いたくなります
という部分です。
美空ひばりさんが今生きている私たちに「あれからどうしていましたか?」「元気でいましたか?」と言っているように受け取ることができます。
反対に、今生きている私たちが美空ひばりさんに
「あれからどうしていましたか?」
「元気でいましたか?」
と聞いているようにも解釈できます。
いやいや、美空ひばりさんはもう亡くなってるのに、「元気ですか?」はないでしょう、と思う人もいるでしょう。
しかし、今回の美空ひばりAIのプロジェクトのコンセプトでは、美空ひばりさんは「どこかに」存在していることになっているんです。
いわば、死後の世界、天国で暮らしているということです。
秋山康さんが「語り」の部分で勝負しているようなことをおっしゃっていましたが、
おひさしぶりです
あなたのことをずっと見ていましたよ
頑張りましたね
さぁ私の分まで
まだまだ頑張って
この語りの部分は、天国からのメッセージという文脈で歌詞を読み取ると、しっくり来ますよね。
美空ひばりさんは、一時的にですが私たちの前に空から舞い降りてきたというような演出もされています。
話を戻して、「あれから」は美空ひばりさんが現世に蘇ったら、国民のみんなに言うであろうメッセージが歌詞になっています。
一方で、美空ひばりさんが現世に姿を現してくれたら、こんな言葉を美空ひばりさんに送りたいということも歌詞にされています。
「天国で元気にされていましたか?」
「向こうの世界でどうされていましたか?」と。
「今でも昔の歌を気づくと口ずさんでいます」という部分と、「何度も歌った歌をもう一度歌いたくなります」も同様です。
美空ひばりさんが自分の曲を天国で歌っているという様子も想像できますし、ファンの方が美空ひばりの歌を歌っているという様子も想像できます。
まとめると、
「あれから」の歌詞はまるで、美空ひばりさんと今生きている人が会話しているような感覚に陥るというおもしろいものになっています。
たった1つの歌詞なのに、2つの目線をもたせるのはさすが秋山康さんですね!

