2020年東京オリンピック・柔道代表に内定している向翔一郎(むかいしょういちろう)選手(24)
やはり学生時代からすごかったんでしょうか?
気になる向翔一郎選手の出身・小学校や中学校や高校。
そして大学と就職先を探ってみました。
向翔一郎が柔道を始めたきっかけは?いつから始めた?
向翔一郎選手が柔道を始めたきっかけは、先に柔道を始めていた4歳年上の姉・奈都美さんに付いて柔道道場へ行ったことでした。
この時、向翔一郎選手はまだ4歳でした。
そんな年齢でしたから、柔道に興味を持ったというよりかは、お姉さんの側を離れずに付いていくことが大切だったと向翔一郎選手は語っています。
まだ小さかった向翔一郎選手に父・吉嗣さんは、まだ柔道をやらせるつもりはなかったそうです。
しかし姉・奈都美さんと同じく柔道の練習に加わり、本格的に柔道を始めたのは小学校1年生からでした。
小学校1年生から所属したのは白根柔道連盟・凰雛塾(ほうすじゅく)という柔道道場でした。
向翔一郎の出身小学校はどこ?小学生時代の写真も
向翔一郎選手が卒業した小学校について明確な情報は残念ながら見つかりませんでした。
しかし向翔一郎選手が小学生のときに所属していたのが新潟市南区白根に拠点を持つ、白根柔道連盟凰雛塾です。
この凰雛塾のある白根には新潟市立白根小学校という小学校がありますから、この小学校に通っていた可能性が高いと思われます。
小学校1年生から本格的に柔道の練習を開始した向翔一郎選手ですが、3年生までは自由に練習はできていたそうです。
しかし、指導者からの期待はあまり感じていなかったそうです。
本格的に始めた柔道でしたが、柔道が好きだから練習しているのではなく、「練習に行かなければいけない」という義務感を感じていたそうです。
しかし真剣に練習に取り組むようになったのは小学校4年生のころからだったと振り返ります。
向翔一郎選手が全国大会に出場する選手に成長し、指導者から将来を期待される選手へと変化していきました。
それに合わせて練習量もどんどん増えていきましたが、当時の向翔一郎選手を指導したのが父・吉嗣さんでした。
当時の練習は非常に厳しいものだったと振り返ります。
父・吉嗣さんの厳しい指導のおかげで、小学校4年生のときが自分の柔道人生で一番強かったというぐらい、試合に出れば連戦連勝という成績を残していました。
同時に練習中は非常に厳しい父・吉嗣さんでしたが、プライベートでは優しい父親だったと小学校時代を振り返ります。
休みの日には柔道以外のスポーツをしたり、水泳キャッチボールをしたりしました。
父・吉嗣さんは当時は向翔一郎選手を野球選手にしたいという思いを持っていたそうです。
向翔一郎の出身中学校はどこ?
小学校卒業後、向翔一郎選手は東京にある柔道塾・講道学舎の所属になります。
どうやら凰雛塾で指導していた先生が、講道学舎へ移籍することに伴い、向翔一郎選手自身もこの先生に付いていくことを決めました。
また東京への移住後、当時通っていた中学校は世田谷区立弦巻中学校という公立中学校でした。
講道学舎へ移籍後、向翔一郎選手を待っていたのは非常にハードな練習でした。
ハードな練習のため、体重がどんどん落ちる塾生が多い中、何故か向翔一郎選手だけは10kg程増えたそうです。
講道学舎に入って体重が増えたのは向翔一郎選手が初めてと言われたそうです。
食事に誘ってもらったりと先輩たちから可愛がられていた向翔一郎選手でしたが、そのような環境が自分に合わないと感じ、中学校2先生のときに富山県・雄山中学校に転向することを決めました。
雄山中学校に転向後も柔道をつづけますが、中学時代には残した成績はほとんどありません。
講道学舎で柔道をしていたことが自身のプライドになっていたそうで、このプライドが邪魔をして、あまり練習に身が入っていなかったそうです。
向翔一郎の出身高校はどこ?
雄山中学校卒業後、富山県内の私立高校・高岡第一高校へ進学します。
しかし中学時代と同じくあまり真剣に練習に取り組めないでいた向翔一郎選手に転機が訪れます。
それは中学時代に簡単に勝っていた同級生選手に試合で負けたという出来事でした。
この出来事がきっかけとなり、それまで真剣に柔道と向き合ってこなかったことを反省した向翔一郎選手。
その後、柔道の練習以外にもウエイトトレーニングを積極的に取り入れ、柔道に必要なテクニックとパワーを鍛え、高校3年生時のインターハイでは81kg級では5位になりました。
このような成績を残しつつも柔道は高校で辞めて、大学ではアメリカンフットボールをする予定だったそうです。
しかし柔道選手として日本大学からスカウトされ、高校卒業後は日本大学へ進学することになります。
向翔一郎の出身大学はどこ?
高校卒業後日本大学へ進学しますが、向翔一郎選手は大学時代に輝かしい成績を多数残します。
それまで無名選手に近い扱いであった向翔一郎選手でしたが、大学1回生であった2014年の全日本ジュニア柔道選手権大会でいきなり優勝します。
その後、全日本ジュニア大会・世界ジュニア大会、アジア大会、グランドスラム大会等で優勝を経験するなど素晴らしい成績を残しましたが、残したことは輝かしいものばかりではありませんでした。
なんと大学4回生のときには柔道部への出入りが禁止になるという処分を下されるという出来事もありました。
それまで向翔一郎選手は時間にルーズなところがあり、練習時間通りに現れず遅刻を何度もしていたそうです。
とうとう堪忍袋の緒が切れた柔道部から出入り禁止の処分を受けることになり、これに加えて当時住んでいた寮からの退寮処分も下されました。
この出来事で周りに迷惑をかけていたことを自覚した向翔一郎選手。
その後は改心して周囲の信頼を取り戻し、柔道部への出入り禁止は取り下げてもらえることになりました。
若さゆえの甘いところがありましたが、そんな自分を正してくれた柔道部の仲間への感謝の思いは今も持ち続けています。
向翔一郎の就職先や所属はどこ?
大学卒業後、向翔一郎選手は2018年4月からはALSOKに所属します。
ALSOKはそれまでの練習環境と比べて、はるかに恵まれた練習環境です。
このような環境で練習に取り組めることに感謝の思いを抱く向翔一郎選手。
ALSOKに所属後も、2018年に開催されたグランドスラム・大阪では優勝。
2019年にも柔道の世界大会に多数出場し、結果を残してきたことで、2020年2月には同年7月に開催される東京オリンピックの代表にも内定しました。
オリンピックの舞台で活躍する向翔一郎選手に期待が高まります。
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