米津玄師がプロデュースした「パプリカ」の英語バージョンが2019年12月に公開されました。
米津玄師さんが英語バージョンの歌詞も担当されるのではという噂があったのですが、実はネルソン・バビンコイさんという方が担当されたようです。
今回はネルソン・バビンコイさんは何者なのか?についてまとめてみました。
パプリカの英語歌詞を書いたのは米津玄師じゃない!
こちらは、Foorin TeamEが歌う「Paprika」の動画です。
日本語ではなく、英語で歌われています。
この英語バージョンの歌詞を担当されたのが、ネルソン・バビンコイさんです。
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ネルソン・バビンコイさんは米津玄師さんの楽曲「海の幽霊」の公式英訳や
「馬と鹿」の公式英訳もされています。
Youtubeの字幕機能で「英語」を選べるのですが、その英訳を担当されています。
その関係で、パプリカの英語歌詞バージョンでも、正式なものとして採用されました。
ネルソン・バビンコイの経歴は?日本語ペラペラ?
ネルソン・バビンコイのプロフィール
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名前:ネルソン・バビンコイ(Nelson Babin-Coy)
生年月日:1985年9月27日
出身地:カルフォルニア州バーバンク市
職業:俳優、シンガーソングライター、翻訳家、ナレーター、コメンテーター
2007年から日本で活動されており、現在は永住権も取られているようです。
ネルソン・バビンコイが日本に来たきっかけは?
きっかけはネルソン・バビンコイさんが15歳のころ。
地元のバーバンク市と群馬県太田市の交流ということで、夏休みに交換留学生として日本に来られました。
2週間だけでしたが、この交換留学がきっかけで日本が好きになってしまい、日本語がしゃべりたくてしょうがなかったそう。
アメリカに戻った後は、本屋や図書館で日本語の初心者向けの本を買って勉強されました。
学校の授業の合間の隙間時間には、ひらがなやカタカナの練習帳で毎日練習していたそう。
学校から家へ帰ってからは、日本のテレビやドラマバラエティー番組、日本の音楽など、とにかく日本語で触れるという毎日を過ごられていました。
とにかく日本語の意味は分からないけれども、日本語のセリフをそのままシャドーイングする。
これがネルソン・バビンコイさんの日本語上達の近道。
「ちょ、待てよ」というキムタクのモノマネもよくしていたそうです(笑)
名門カルフォルニア大学バークレー校
コンピューターサイエンスについては、大学3年生、4年生レベルの授業を16歳のときには理解するくらいの才能の持ち主。
アメリカでいうところの東大にあたる名門カルフォルニア大学バークレー校に入学されています。
専攻は得意のコンピューターサイエンス。
コンピューターサイエンスの道をある程度極められたのですが、ただ一生パソコンで仕事をしたくないと考えたネルソンバビンコイさんは、日本語をさらに極めることにしたそうです。
このときに日本語は話せていたのですが、コンピューターサイエンスと同じくらい極めてやろうと思ったみたいです。
そして、再び留学することに。
慶応大学に留学
ネルソン・バビンコイさんは19歳のときに慶応大学へ留学されます。
日本人と同じ授業を受けたかったようなのですが、日本語ネイティブの人しか受けれないという大学のルールが邪魔して、結局留学生用のトップのクラスの授業に入れられることに。
つまらなかったそう。
そりゃ、日本語もほとんど話せる状態だったら、おもしろくないのは当たり前です。
バビンコイ・ネルソンは慶応時代メジャーデビューしそうだった!?
路上ライブをやる日々
アメリカにいたときに「ストリートファイターズ」というストリートミュージシャンを紹介する日本の深夜番組を見ていたネルソンさん。
この番組がきっかけで、日本に行ったら絶対路上ライブをやろうと決めていたそう。
そして、昼は慶応大学に通われ、夜は路上ライブでMr.Children(ミスチル)やスピッツのカバーを歌っていて、道行く人の注目を集める日々を送られました。
さらに、ネルソン・バビンコイさんはインディーズ事務所に声をかけられ、女性の人の2人組のユニットを組んで一時期活動していたようです。
メジャーデビューの話もあり決まりそうだったところ、就労ビザがおりずアメリカに帰国することに。
趣味で音楽をやることに…
大学に行ったのが家族の中でネルソンさんだけ、しかも名門の大学に入っていたこともあり、家族からは期待の目で見られていたそう。
大学卒業後は普通に仕事をして、そしてお金をたくさん稼いで…という道を家族は期待していたようです。
音楽は趣味というように割り切られました。
しかし、とあることがきっかけで再び音楽の道に。
ある日、ネルソンさんは日本人の先輩の誕生日会にSMAPの「オレンジ」という曲をリクエストされました。
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ネルソンさんは練習のため、安いデジカメに弾き語りの様子を撮影し、きちんと歌えているか弾けているかを自分でチェックされていたところ、
「これおもしろいわ!」
「外人が流暢な日本語でスマップの曲歌ってるぜ!」
と自分の魅力に気づくことに。
ネルソン・バビンコイは日本でトップYoutuberだった
弾き語りの動画をYoutubeに投稿したところ、日本人からすごい数のメールが来たそうです。
「ネルさん、すげぇ!!」
「この曲歌って!」というリクエストまで。
この動画投稿での人気がきっかけで、ネルソンさんは2008年に再び日本に行くことになりました。
2008年といえば、Youtubeが今ほど注目されていないころですよね。
この時期からYoutubeで投稿していたネルソンさんは、当時日本のYoutubeアカウントの中で一番のチャンネル登録者、再生数だったそうです。
さらに注目されはじめ、ダウンタウンの人気番組だった「HEY!HEY!HEY!」にも出演することに。
そのときの企画が「COVER CHAMP」という、ゲストの前でゲストの持ち歌を歌うという企画。
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バビンコイ・ネルソンさんは、平井堅さんの前でカバー曲を披露し、見事「第1回COVER CHAMP」で優勝されました。
しかしこの優勝の翌日、
「あなたのアカウントは著作権侵害で削除されました」
というYoutubeからのメールが来て、オリジナル曲を歌った動画やカバーした動画が入ったYoutubeチャンネルは消えてしまうことに。
3年間積み上げてきたものが、一瞬にして水の泡になりました。
これはショックですよね……
さらにショックなことに、Youtubeチャンネルが削除された2か月後、YoutubeがJASRAC(音楽の著作権を管理している会社)と契約して、Youtubeでもカバー曲が歌えるようになりました。
あと、Youtubeが2ヶ月早くJASRACと契約を結んでいたら…。
ネルソン・バビンコイはSEKAI NO OWARIの英訳担当もしていた!
ネルソンさんは日本の有名アーティストの英語の歌詞提供や、英訳監修などに携わっておられます。
『SEKAI NO OWARI』『HUSKING BEE』『WHITE ASH』『ナオト・インティライミ』『THE BAWDIES』『Nothing’s Carved In Stone』『羊毛とおはな』などなど。
例えば『SEKAI NO OWARI』の「ANTI-HERO」という曲。
この曲の歌詞を作成するにあたって、ボーカルのFukaseさんの英語監修ということで、ネルソンさんがサポートされています。
ちなみに、ネルソンさんは『SEKAI NO OWARI(セカオワ)』のインディーズ時代から英訳担当をされていて、いろんな曲の制作者の名前一覧にネルソンさんの名前が隠れています。
@naotointiraymi @sikappe 『君生まれし日』の感極まってのかすれた声も、『I’m chi-zu-ers』の最後も、『声をきかせて』の歌がはじまるまでのピアノソロにも表されてますよね。。 pic.twitter.com/9FYNfNvKBw
— mii-yuu*..ஐ.. (@miiyuu_) May 15, 2013
ナオトインティライミさんのアルバム「Nice catch the moment!」に収録されている「声をきかせて」という曲では、ラップ部分でネルソンさんは参加されています。