2020年2月20日に東京都葛飾区南水元1の2階建てアパートの2階で火災があり、中江滋樹(なかえしげき)さんと思われる遺体が発見されました。
中江滋樹さんは昔は「兜町の風雲児」と呼ばれ、投資の世界で有名な方だったようです。
しかし、投資ジャーナル事件や放火未遂事件などで逮捕されており、波乱万丈な人生を送られていたようです。
今回は
- 投資ジャーナル事件
- 倉田まりこ
- 放火
など過去の実績から現在までをまとめてみました。
中江滋樹(なかえしげき)のプロフィールや経歴
田中邸で聞いた角栄節「ここでこの国のすべてが決まる」【中江滋樹 “兜町の風雲児”ゼニの哲学】(日刊ゲンダイDIGITAL) – Yahoo!ニュース https://t.co/YhrFIIANdF pic.twitter.com/eVCxrSzD6X
— EDANON! (@yukio_edano) February 9, 2020
名前:中江滋樹(なかえしげき)
生年月日:1954年1月31日(2020年現在66歳)
出身地:滋賀県近江八幡市
出身高校:滋賀県立彦根東高校
出身大学:神戸大学経営学部中退
父親が証券会社に勤めていた影響で、中江滋樹さんは小学生のときから株式投資をされていました。
高校時代から優秀だったようで、教師にも株のアドバイスをしていたくらいです。
高校3年生のとき、ニクソンショックが起き、弱電メーカーを空売りし、数百万円を手にしたそうです。
そして、神戸大学に進学されますが中退されます。
といっても、投資家として株で設けていたといいます。
その後、株でもう買ったお金を資金にして、1978年(当時24歳)のときに上京し『投資ジャーナル社』を設立されました。
本当に若いときから優秀だったと分かりますよね。
会社を設立したあとは、株式売買のテクニックや証券会社のトレーダーから得た情報などを掲載した雑誌「月刊投資家」を発売するなどしていたそうです。
雑誌も売り切れるほど好評だったようで『兜町の風雲児』と呼ばれていたそうです。
中江滋樹の投資ジャーナル事件とは?
1984年の今日(8/24):投資ジャーナル事件 警視庁が投資コンサルタント業の「投資ジャーナル社」を証券取引法違反で摘発。 #80年代 pic.twitter.com/mCbPpPlCUo
— マイケル上大岡* (@cue80s) August 23, 2015
1982年ごろから、株式投資をする客に元手の10倍の資金を貸し付ける「10倍融資」ということを、中江滋樹さんは始めます。
客は政治家や財界人や芸能人などお金を持っている人でした。
さらには、「絶対に儲かる」株式売買のテクニックを掲載した雑誌の中で紹介した銘柄をエサに、現金を騙し取っていました。
もう少し詳しくいうと、雑誌の中で紹介したオススメの銘柄を買うからと嘘を言って、利用者から10万〜数百万円の現金を集め、合計で600億円のうち18億円を詐取していたといいます。
お金だけ集めて、一部は株に使っていないということですね。
これが原因で、1984年8月24日(当時30歳)のときに中江滋樹さんは証券取引法違反で警察に摘発されました。
摘発されてからは、香港、マレーシア、パリなど海外に逃亡していたそうです。
逃亡中も弁護士を通じて警察とやりとりしていたそうで、帰国後もしばらくは逮捕されずに身を潜めていたそうです。
しかし、翌年の1985年6月に詐欺容疑で逮捕されました。
中江滋樹とアイドル倉田まり子との関係は?
投資ジャーナル事件では、倉田まりこさんというアイドルが被害者になりました。
倉田まり子さんについて簡単に。
倉田まり子のプロフィール
芸名:倉田まり子(くらたまりこ)
本名:坪田まり子(つぼたまりこ)
生年月日:1960年11月20日
出身地:長崎県諫早市
職業:元アイドル・女優、現在はキャリアカウンセラー
中学2年生のことにスカウトされ、1976年高校1年生のときに上京されました。
1979年(当時19歳)のときには、第10回日本歌謡大賞放送音楽新人賞・第8回FNS歌謡祭最優秀新人賞・第21回日本レコード大賞新人賞などを受賞されています。
つまり、売れっ子アイドルでした。
1980年ごろになると、松田聖子さん、河合奈保子さんの勢いに押され、人気が徐々に低迷していたそうですが。
しかし、1985年にさらなる悲劇が….
投資ジャーナル事件で芸能界引退に追い込まれる
無党派層は投資ジャーナル中江氏で一本化!? 中江さんならやってくれる😭🙏 pic.twitter.com/x2n6iHKxTa
— 流石の三太郎 (@dj_arakan) June 30, 2019
1984年週刊誌の『FRIDAY』に中江滋樹さんと倉田まり子さんのツーショット写真が掲載されました。
ただの記念撮影とも言えなかったのは、中江滋樹さんが「投資ジャーナル事件」ですでに警察に告発されていたからです。
つまり、犯罪者と一緒に写真を撮ってしまっていたという、悪い印象を『FRIDAY』を通して世間に与えてしまったわけです。
さらに、倉田まり子さんは目黒区の一等地に3階建ての豪邸(7000万相当)を購入していたことから、中江滋樹さんの愛人となって枕営業で大金を手にしたのではないか、という疑いをかけられました。
倉田まり子さんは、中江滋樹との愛人関係も否定し続け(実際は4回ほどデートしたくらい)、豪邸の購入資金も月50万返済という条件で借りたものだと主張していました。
しかし、マスコミは倉田さんにバッシングを浴びせ続けました。
投資ジャーナル騒動のときの倉田まり子のお洋服がめちゃくちゃ可愛いんだけど、こういう洋服はなんて検索すれば出てくるの?😳 pic.twitter.com/D5nYGzhROq
— 🦄🌈平成生まれが昭和・90年代を語る会🌈🦄 (@1989showa) June 12, 2019
その後、税務署の調査によって、倉田まり子さんから7000万円の借用証が発見され、豪邸購入の資金は普通の借金で、中江滋樹さんとの愛人関係も男女の関係もなかったと分かりました。
倉田まり子さんの潔白は証明されましたが、精神的なダメージが大きかったらしく、芸能界からの引退を自ら決断されました。
ただこのツーショット写真流出には裏話があったようです。
どうやら、倉田まり子さんのマネージャーさんが、中江滋樹さんをうまく利用して所属事務所から独立する資金を出させようとしていたそうです。
よくあるタレントと事務所の独立問題ですね。
しかし、逆に中江滋樹さんが倉田まり子さんを引っこ抜き、芸能プロダクションを作る計画をしたため、これに怒ったマネージャーがマスコミや週刊誌にリークしたそうです。(あのツーショット写真)
中江滋樹の逮捕から出所後もヤバかった!放火未遂も!
投資ジャーナル事件の中江。検索してみたらその後もヤクザの金持ち逃げしたり放火未遂やら色々やらかしてんのな。この金曜の深夜にタモリの横で「言ってる〜」ってゲラゲラ笑ってそうなのが中江。やっぱり誰も憶えてないかこんな奴。兜町の風雲児。 pic.twitter.com/WlDRIQ6lqR
— 第4インター系 (@Lev1026) May 16, 2016
中江滋樹さんは1985年に「投資ジャーナル事件」で逮捕された後、1992年(当時38歳)に出所しています。
出所後には手元に3億円ほどしか?なかったそうです。
6年間の海外逃亡生活
投資関連の事務所を再開したそうなのですが、なんと暴力団から出資を受けていたそうです。
10億ほど返済できなくなり、どうせ死ぬならということで残り1億円を持ってハワイに逃亡したそう。
銀座の女性と共に、ハワイ、ロサンゼルス、バンクーバーと転々として逃げていたみたいですね。
しかし、6年後の1998年(当時44歳)にビザが切れてしまい、日本に強制送還されることに。
暴力団に何かされると不安がっていたそうですが、中江滋樹さんの株式投資でどうやら借金をしている分以上に暴力団は稼いでいたそう。
そのため、実際は借金なんてものはなかったらしいです。
放火未遂
2006年9月22日(当時52歳)に、中江滋樹さんは滋賀県警近江八幡市にある自宅で火をつけようとしたとして、放火未遂で現行犯逮捕されています。
自宅の階段や廊下に灯油のようなものを撒き散らし、マッチで火をつけようとしていた疑い。
未遂で終わらすことができたのも、放火未遂事件発生の20分前に、中江滋樹さんの自宅から50m離れた布団店で商品が燃えるなどの不審火があったそうです。
このとき、中江滋樹さんは近くを歩いていたという情報があり、警察が中江滋樹さんの自宅に向かいました。
その警察の方が中江さんが放火しようとしたところを発見したようです。
なので、放火未遂で終わりました。
自殺をしようとしていたのでしょうか。
中江滋樹の現在は?
中江滋樹さん、アパート火災で死亡か 「兜町の風雲児」元投資ジャーナル会長 https://t.co/qPv4Mwre72 #毎日新聞 #ニュース
— 毎日新聞社会部 (@mainichi_shakai) February 20, 2020
2020年2月20日に中江滋樹さん(当時66歳)が火災により亡くなった可能性が高いというニュースがありました。
20日午前8時15分ごろ、東京都葛飾区南水元1の2階建てアパートの2階一室から出火し、焼け跡から遺体が見つかった。この部屋は無職、中江滋樹さん(66)が1人で借りていた。遺体は損傷が激しく性別は不明だが、関係者によると、投資顧問会社「投資ジャーナル」の元会長で1980年代に「兜町の風雲児」と呼ばれた中江滋樹さんの可能性があり、警視庁亀有署が身元の特定を急いでいる。
出典元:毎日新聞
14年前と同じく、自分で灯油を部屋にまいて火をつけたのでしょうか。
事件現場となったアパートへは、2012年ごろに引っ越ししてきて、ずっと1人ぐらしをされていたそうです。
2019年〜2020年現在も日刊ゲンダイで【“兜町の風雲児”ゼニの哲学】というコラムを連載されていました。
つい4日前の2020年2月16日の連載コラムが中江滋樹さんの最後のコラムとなりました。