2020年4月20日に、名俳優の志賀廣太郎さんが71歳で亡くなられました。
私の印象としては、禿げたTHE優しそうなおじさんという役柄の印象が強いのですが、実は昔はイケメンの方でした。
しかも、俳優をやりながらも大学の先生もやられていたといいます。
今回は志賀廣太郎さんの若い頃に着目してまとめてみました!
志賀廣太郎の若い頃はイケメンだった!いつからハゲた?
志賀廣太郎さんは1948年8月31日生まれです。
上の画像は志賀廣太郎さんの23歳ごろの写真ですから、1971年ごろのものですね。
今時のイケメンとは違いますが、好青年というかんじのメガネイケメンです!
当然、70代の志賀廣太郎さんよりも髪の毛の量は違いますよね。
髪の毛は30代半ばから徐々に薄くなっていたそうです。
けっこう早い時期から薄毛に悩まれていたようです。
しかし、この髪型がトレードマークになっておじさん役でブレークしたということもありますよね。
志賀廣太郎の学歴|高校や大学はどこ?
「幕が上がる」で滝田先生役を演じた志賀廣太郎さんが、体調不良で来年の大河ドラマを降板するみたい
体調を整えて、滝田先生役で演じた名演技を再び見たいです pic.twitter.com/PhADe1Hg6B— Kazu💎 (@KAz201708) April 26, 2018
志賀廣太郎さんは、東京都世田谷の区立中学校に進学されました。
中学時代は演劇部に所属されていて、昔から演劇に興味をもたれていたことが分かります。
どこの高校に通っておられたか公表はされていませんが、おそらく東京都の高校だと思われます。
中学時代と同様で、高校時代も演劇をされていたそうです。
高校卒業後の進路は2つあったようで、一つは演劇でもう一つは日本史の教師だったといいます。
志賀廣太郎さんは前者の演劇を選ばれましたが、結果的に人に教えるということ仕事にされます。
高校卒業後は、桐朋学園大学短期大学部専攻科演劇専攻に進学されます。
大学では、演技や能、狂言、日舞、バレエ、体操など幅広く学ばれたそうです。
1971年の23歳に桐朋学園大学短期大学部専攻科演劇専攻修了されました。
志賀廣太郎は大学卒業後はドイツに留学して体操していた!?
当時大学で演劇なら
桐朋か日芸。
私は夜学の建築四年出た後の入学。
高校出たての
才能多き彼らが眩しかった。
私はその時
ドイツの舞台演出
ウィリアム・フォーサイスやピナ・バウシュが好きで
そんな話が出来るのは
志賀廣太郎先生だけだった。
先生がドイツ、ウィーンにいたことを
今、知った😅 pic.twitter.com/svfZj4qpft— 弁士 星 絵里子【會津こころ亭 】 (@aizukokorotei) August 29, 2018
大学卒業後はすぐに俳優の道に進むつもりだったそうですが、大学での恩師との出会いでしばらく大学に残ることに。
1973年の25歳まで志賀廣太郎さんは、ゼミの助手を務めながら演劇を学んでいたそうです。
当時は、翻訳劇といって外国のげきを日本語に翻訳して演じる舞台が多かったそうです。
そういう背景もあり、ヨーロッパ原作の劇が本場でどのように演じられているか気になった志賀廣太郎さんは、ドイツに留学されます。
語学学校を経てドイツの都市シュトゥットガルトの専門学校(体操の専門学校)へ入学されます。
この専門学校を選んだ理由は、芝居の身体表現である演技の基礎が体操にあると考えたからだそうです。
ドイツの演劇を学ぶために語学も学び、演劇の基礎である体操を学ぶという、まさに演劇のプロですよね。
体操の専門学校には1年ちょっと通われていたそうで、バク転もできるくらいの技術をもっていたそうです。
その後は、オーストリアの都市ウィーンにある日本人学校で小中学生に向けて国語を教えていたそうです。
昔からの夢である、国語の教師という夢も叶えられたということですね。
志賀廣太郎は大学の非常勤講師をしていた!
昼公演には、げんこつ団!大変お世話になっております志賀廣太郎先生もご観劇下さいました!
(志賀先生は大学時代の恩師です(*^^*)先輩とご観劇下さり嬉しかったです)
ありがとうございました‼喜びを胸に(・∀・)夜公演もガタゴト発車致しますー!!!@GENDANCHO @us_g pic.twitter.com/XisexfPvxc
— m.HAL🌙ヲタクちゃん (@tela_HAL) October 20, 2018
1978年(当時30歳)に、志賀廣太郎さんは母校である桐朋学園大学短期大学の演劇科で非常勤講師をされます。
学生に芝居を創作させ、
- セリフ
- 演出
- 演技
の3つの側面を考えるよう指導されていました。
ドイツへの留学の経験から、授業ではドイツ語も教えていたそうです。
志賀廣太郎さんは講師の仕事について
「年代によって若い人も変わっていくから、若い人がどういうことを考えて、どういう芝居をしているのかに触発されることもあります」
と語られていますが、この言葉からも教えながら学ばれていたのだなと分かりますね。
ただ、学生に演技指導をしているなかで、40歳を前にして壁にぶつかることに。
インプットすることが少なくなったためか、自分でも演技をして学ぶ必要性を感じていた志賀廣太郎さん。
クローズアップ現代+
平田オリザさんの心に残る言葉
「文化っていうのは人それぞれ大事にするものが違うので、その達う楽しみを理解する、相互理解する、寛容になるってことがとても大事だと思うんです。実はこの他者理解、異なる文化とか異なる価値観を持った人の気持ちを理解するのも芸術の役割」
. pic.twitter.com/BtCebM79Wj— きちょべー @3/8 『お笑いを語るバー スピンオフ 新型コロナ対策会議』十八一卜 丨了夕一生 (@kichobee) April 23, 2020
そんなときに、志賀廣太郎さんより14歳年下の劇作家・演出家である平田オリザさんが主宰する「青年団」の舞台を見に行かれます。
志賀廣太郎さんは、この舞台に非常に共感したといいます。
最初は授業の教材として作品を使わせてもらいたいということで、平田オリザさんに会いに行かれたそうです。
しかし、お酒の勢いもあり、志賀廣太郎さんは平田オリザさんの公演に出演されることになったといいます。
すごい、行動力ですよね。
平田オリザさんの劇団の団員は20代ばかりで、「すごいおじさんが入ってきた!」ということで、40代の志賀廣太郎さんは『志賀じい』と呼ばれていたそうです。
志賀廣太郎さんは「青年団」に入団されて俳優活動をされながら、非常勤講師もされていて、まさに二足の草鞋を履かれていました。