2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会理事で電通の元専務の高橋治之(たかはしはるゆき)さん。
9億円でを東京五輪招致委員会から受け取っていて、フランス検察に逮捕状が出ているとの報道がありました。
実は、高橋治之の兄の高橋治則(たかはしはるのり)さんも過去に逮捕されたことがあります。
今回は、高橋治則さんの逮捕についてや、イ・アイ・イ・インターナショナルについてまとめました。
高橋治之の兄の高橋治則のプロフィールや経歴
プロフィール
離れていく人もいれば、変わらず協力してくれる人もいる。
ただ離れていった人達に恨みとか復讐心はない。
動物の本能ですよ。エサのあるところにしか集まらない。
エサが取れそうになったら、また戻ってきますよ。イ・アイ・イ・インターナショナル社長 高橋治則 pic.twitter.com/oL17Fvfey1
— なっちゃん (@nazicyan) January 10, 2018
名前:高橋治則(たかはしはるのり)
生年月日:1945年10月9日
出身地:長崎県
学歴:慶應義塾大学法学部政治学科
高橋治則の弟は、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事で、電通元専務という肩書きの高橋治之さんです。
2005年7月18日に59歳で亡くなっていらっしゃいます。
経歴
1968年:慶應義塾大学法学部を卒業し、日本航空に入社
1972年:イ・アイ・イインターナショナルを設立
1983年:株式会社イ・アイ・イの社長に就任
1985年:協和信用組合の理事長に就任
1987年:伊豆シャボテン公園、伊豆海洋公園、伊豆ぐらんぱる公園を買収
1987年:オーストラリア初の私立大学ボンド大学を設立
1989年:ニューヨークのリージェント・ニューヨークを建設
1995年:背任容疑で東京地検特捜部に逮捕される
バブル崩壊後に、高橋治則さんの人生はガラッと変わったようですね。
高橋治則さんは、「長銀(日本長期信用銀行)を潰した男」と呼ばれているそうです。
高橋治之の兄(高橋治則)のイ・アイ・イインターナショナルとは?
高橋治則さんの父親は経営者でした。
高橋治則さんの父である高橋義治さんは、電気機器卸売会社である「株式会社イ・アイ・イ」を経営されていました。
高橋治則さんは父の会社の副社長になった後、社長として父から会社を譲り受けます。
社長に就任した高橋治則さんは、電子部品を扱っている会社から、リゾート開発の会社に路線を変更させます。
ホテルやリゾートの開発地の視察に、自家用ジェットで海外を飛び回ったといいます。
グアム、サイパン、オーストラリア、フィジー、香港、アメリカ、イギリス。
各国を飛び回っていたことから、高橋治則さんは「環太平洋のリゾート王」という異名も持っていました。
- 香港やオーストラリアにゴルフコースを開発
- オーストラリア初の私立大学であるボンド大学を設立
- ニューヨークにホテル建設
- シドニーや香港のホテルを買収
- フィージー、タヒチ ボラボラ島でリゾート開発
といったように、世界各地で不動産投資、開発事業を行いました。
高橋治則と日本長期信用銀行の関係は?
高橋治則さんの母方の親戚が、ライオン宰相の浜口雄幸さんという方で、この方の次男が日本長期信用銀行(長銀)の頭取である浜口巌根さんでした。
つまり、高橋治則さんと長銀の頭取である浜口巌根さんは遠い親戚ということ。
そのため、長銀が高橋治則さん(イ・アイ・イ-インターナショナル)のバックにつくことになります。
日本長期信用銀行とは?
第2次世界大戦後の疲弊した日本経済の復興を目的として,企業の長期融資の要求にこたえるため長期信用銀行法 (昭和 27年法律 187号) に基づいて 1952年に設立。
金融債を発行して資金を調達し、企業に設備資金・長期運転資金などの長期資金を貸し付けることを主な業務とした。
長銀からの融資で、高橋治則さんは海外の高級ホテルや超高層ビルを買い漁りました。
投資したピークの不動産案件は2兆円。
融資額は最盛期で6000億円。
その後、日本のエネルギー確保のため、ベトナムの石油開発に進出することに。
ちょうどベトナム戦争の後で、アメリカの企業がベトナムの石油利権に手を出せない状態だったそうです。
この隙を狙って、高橋治則さんはベトナム石油利権を手に入れようとします。
しかし、これがアメリカの石油メジャーの逆鱗に触れたこともあるそうです。
石油メジャーとは、資本力と政治力で石油の探鉱(採掘)、生産、輸送、精製、販売ま での全段階を垂直統合で行い、シェアの大部分を寡占する石油系巨大企業複合体の総称。
1990年に、不動産を担保にした融資の総額を規制する「総量規制」が大蔵省が出されます。
ニューヨークに建設中の高級ホテルの建設費は600億円、その他にも280億円のお金が必要でした。
「イ・アイ・イ-インターナショナル」の年商は当時100億円だったのに対し、利息は200億円以上だったといいます。
そのため「イ・アイ・イインターナショナル」は長銀の管理下に入り、債務の整理を行いました。
その後、1993年に長銀のよる支援がなくなり、再起を目指すもその後破綻します。
高橋治之の兄(高橋治則)が逮捕の理由は?
1995年6月27日に高橋治則さんは背任容疑で東京地検特捜部に逮捕されます。
背任罪(はいにんざい)とは、人から仕事を任されているとき、背信的な行為によって損害を発生させると成立する罪のことです。
出典元:刑事事件弁護士ナビ
「イ・アイ・イインターナショナル」の再建を目指して、リゾートの子会社などを経由して、東京協和信用組合と安全信用組合の両方から迂回融資を受けます。
銀行などが資金を融資する際に、融資額が信用供与の限度額内であるように見せかけるため、間接的に融資を行うこと。関連会社のノンバンクや大口信用供与先などを経由することによって、結果的に融資先の信用供与限度額を超えた融資が行われる。
しかし、その融資は返済が滞り、不良債権化することに。
東京協和信用組合と安全信用組合に対する背任行為として、高橋治則さんは背任罪で逮捕されます。
しかし、「本来なら長銀が弁済する責任があった」と高橋治則さんは主張していました。
つまり、長銀が債務を弁償する責任があったのに、その責任を逃れて、高橋治則が背任行為をしたように見せたということです。
その後、長銀は日本が公的資金を8兆円も投入し、再生し国有化。
さらに、アメリカの投資ファンド『リップルウッド・ホールディングス』により長銀は買収されます。
長銀は新生銀行として2004年に上場します。
ただ、この上場前に「イ・アイ・イ・インターナショナル」が長銀に訴訟を起こします。
その内容は、破綻した「イ・アイ・イ・インターナショナル」の資産が不当に安く売却され損害をこうむったとして、メインバンクだった長銀を相手に損害賠償を求めるというもの。
この訴訟は東京やホテルを所有していたアメリカの各地でも起こされ、補償的損害賠償額は6兆円を越えたといいます。
もし訴訟で長銀の不法行為が認められることになれば、新生銀行が損害賠償を支払うことになります。
このことは、8兆円かけて再生した日本政府や、『リップルウッド・ホールディングス』の背後にいたゴールドマン・サックスやアメリカ政府には大打撃になります。
圧力があってかは分かりませんが、高橋治則は訴訟の弁護団を押し切って、この和解交渉に合意したそうです。
結果的に和解金額は218億円、つまり支払いは6兆円から218億円になりました。
高橋治則は裁判中に死亡。死因は何?
高橋治則さんは、1999年10月に東京地裁にて4年6ヶ月の実刑判決(1審)、2003年の東京高裁で3年6ヶ月の事項判決(2審)を受けることになります。
「もし、自分が2信組の資金を私的に流用などしていたら、とても裁判は戦えないですよ。勝ち目なしですから、もう、『はい、はい』と、罪を認めて刑務所に入り、すぐ帰ってくる道を選びます。そうしていれば、もうとっくに決着していますよ。しかし、それでは私の良心というか正義感がもちません。自分や自分を信じてくれた家族や友人、そしてリゾート開発という戦場でともに闘った仲間の名誉のためにも、陰で積み重ねられてきた長銀の不正行為やリップルウッド、新生銀行のデタラメを許すわけにはいかないのです」
「長銀」や「リップルウッド」の情報操作に立ち向かっていた高橋治則さんですが、2005年7月18日に「くも膜下出血」59歳で亡くなってしまいました。
実は、高橋治則さんはアメリカで起こした裁判で勝訴しています。
サイパンで行われた裁判では、新生銀行に対する損害賠償請求額は、「一兆円を超える」額になったということ。
仮に、新生銀行が裁判に負けた場合、アメリカの裁判では見せしめの意味も込めて、請求額の三倍まで賠償させることができます。
つまり、新生銀行に3兆円を賠償金として求めることができるということです。
もしこれが実現してしまったら、新生銀行の株価は暴落し、リップルウッドには不利になります。
こういうこともあり、高橋治則の裁判の結果によっては新生銀行はヤバかったわけです。
しかし、結果は高橋治則さんの「くも膜下出血」です。
また、亡くなるまでもその後も、高橋治則さんに対するマスコミによるバッシングもあったそうです。
陰謀論的に考えるともしかすると、裏で何かあったのかもしれません。