東京五輪の新種目として実施される空手で女子61kg超級の日本代表の植草歩(うえくさあゆみ)さん。
彼女は空手の実力だけでなく、その可愛い容姿も各メディアに取り上げられ、「空手界のきゃりーぱみゅぱみゅ」と異名がつけられるほど。
幼い頃から大会で実績を残していた植草選手。
一度は空手を辞めようとするまでの挫折を経験した彼女を立ち直らせ、世界に通用するレベルにまで成長させたのはコーチと家族の力が大きかったそうです。
今回は植草歩さんを支えた家族やコーチについてまとめてみました。
植草歩の家族構成
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父 植草政國(うえくさまさくに)さんと、母 貴美子(きみこ)さん、ご兄弟はお姉さんが1人の4人家族で、どなたも空手の経験は無いそうです。
父 植草政國さん
私の父は子供の頃
毎日道場への送り迎えを
仕事の後にしてくれていました🌼*・
そんな父がいたから私はここまで
空手を続け、強くなれました。
大きな声で応援をしたりする訳ではないけど
いつも誰よりも1番のファンでいてくれ
ありがとう🌹💗✨✨#HappyFathersDay2019 #HappyFathersDay #父の日 pic.twitter.com/fRZv3YbCXz— 植草歩 (@ayayumin) June 15, 2019
父 植草政國さんは1957年生まれの63歳です。
現在は設計士として働かれているそうです。
歩さんの空手の才能をいち早く見抜き、小学3年生の時に空手を始めて以来、とても献身的に歩さんを支えてきたそうです。
母 植草貴美子さん
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母 植草貴美子さんは1964年生まれの56歳です。
歩さんのお名前は母 貴美子さんがつけられたそうです。
お腹の中にいた頃からよく動く活発な子だったこともあり、一歩ずつ歩んでいって欲しいという願いが込められていたそうです。
また、貴美子さんの家系に格闘技の選手が多かったそうで、「その血を引いたのかな。」と歩さんは語っていました。
2018年マドリードで開催された世界大会にご両親とお姉さんが応援に駆けつけてくれた際に、母貴美子さんは「歩が頑張っているから」と10キロ痩せられたんだとか。
植草歩さんのお姉さん
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写真の左、顔の隠れている方がお姉さんかと思われます。
お姉さんについての情報は詳しく入手できませんでしたが、いつも家族全員で試合の応援に駆けつけるんだそうです。
とても仲の良いご家族なんだとわかります。
植草歩と父親とのエピソード
空手を習い始めた小学3年生
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「空手をやりたいって言うんだったら、やめさせないよ。」
当時小学3年生だった歩さんは、仲の良かった幼なじみに誘われて父 政國さんに初めて空手を習いたいと言った時に、こう、覚悟を求められたそうです。
当時の歩さんは何事も器用にこなす半面、あきっぽい一面もあったからだとか。
厳しい言葉を娘にかけるのには父 政國さんの生い立ちに深く関係しております。
3歳の時に父親を亡くし、母子家庭で育った政國さんは、家計を助けようと高校時代は朝夕に新聞配達のアルバイトをして学費に充てたと言います。
「自分は若い時に夢中になることをできなかった。その分、娘が空手に熱中しているのを見るのが楽しかった。」
そう語る父 政國さんは、夜遅くまでやっている歩さんの練習の迎えを、仕事が終わり眠い目を擦りながら毎日したと言います。
高校へ進学後
植草が通学に約1時間半かかる柏日体高校(現 日体大柏)への進学を決めた際、当時は寮がなかったため学校近くに同学年の生徒の保護者と共同でアパートを借りたそうです。
週末になると父 政國さんは大量の差し入れを抱えてアパートを訪れ、激励の言葉をかけていったそうです。
歩さんは、
「自分だったらここまでできない。今の自分になれたのはお父さんのお陰」
と感謝の言葉を口にしています。
現在も1番の植草歩のファンは父 政國さん
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今でも、国内開催の大会には必ず訪れ声援を送っている父 政國さん。
昨年のマドリードで行われた世界選手権では初めて現地に招待され、スタンドで声援を送っていらっしゃいました。
惜しくも歩さんは準優勝となり、
「勝てなくてごめん」と謝る歩さんに、
「ご苦労さん」とだけ父 政國さんは声をかけた。
植草歩の歴代空手コーチまとめ
柏日体高校 : 花田好浩コーチ
花田コーチは、「相手との間合いの取り方や、相手が何を考えているのか見つけなさい。」
と、繰り返し植草選手に言っていたそうです。
植草選手は、花田コーチに「駆け引き」と「心理戦」を教えてもらってから、ますます空手にハマっていったと語っております。
高校3年生の時にインターハイ女子個人組手で3位に入賞し、秋の国体で初めて日本一となった植草選手は、空手会の名門、東京 帝京大学の医療技術学部スポーツ医療学科トップアスリートコースに進学しました。
卒業する際、花田コーチは
「空手を頑張るのはもちろんだけど、植草はいつもかわいいキラキラした存在でいなさい。」
と、持ち前の明るさを忘れるなという激励をされたそうです。
帝京大学で、植草選手は大きな挫折に直面します。
高校時代は仲間みんなで和気あいあいの雰囲気で空手に取り組んでいましたが、帝京大学は全員が日本一、世界一を目指している超強豪学校でした。
練習の質も量も全く違い、心・体力・技術共に周りに劣っていた歩さんは屈辱と挫折を味わいました。
高校の恩師 花田好浩さんに連絡を入れ「辞めたい」と告げた歩さん、
授業料などが免除となる特待生は、退部すると大学まで辞めなければならなく、それは出身高校の信用にも関わる問題でした。
花田好浩さんは引き留めなかったそうです。
その代わり、
「仕事も探してやるから、スジだけは通せ」
とおっしゃられたそうです。
帝京大学 : 香川政夫 師範
植草選手より優れた選手がたくさんいて全く歯が立たず、練習にもついていけない彼女は追い詰められ、トイレにこもって1人で泣いたこともあったそうです。
高校を卒業するまでは、いつも「歩は強いね」「歩は一番だね」と褒められ続けていました。
その「楽しい空手」が「つらく苦しい空手」に変わって、初めて植草選手は空手から逃げ出したいと思うようになったと語っています。
師範のところに行って、
泣きながら「やめさせてください」と言うと、
「あと1週間頑張ってみろ」とおっしゃられたそうです。
それでもう一週間だけ頑張ってみようと思って練習に再び参加。
辞めたがっている私を帝京大学の仲間や、ご両親がサポートしてくれ、
「あと一週間だけ頑張ろう」
というのを何度も繰り返している内に夏のインカレで2位輝きました。
空手で日本一、世界一を目指すのが楽しくなり、挫折を乗り越えれたと語っています。
日本代表 本間絵美子コーチ
2016年の世界大会で優勝した植草選手でしたが、それ以降絶対的強さが薄れていました。
2019年1月、パリで行われたプレミアリーグでは優勝したものの、2月にドバイ行われたプレミアリーグでは3回戦で敗退しました。
「進化させる時間」とのことで4ヶ月ほど大会の出場を控え、満を辞して出場したアジア大会で初戦で敗退してしまいます。
植草選手もかなり思い詰めてしまったそうです。
その頃、指導を受けるコーチ、トレーナー、栄養士、支えてくれる人々のことを歩さんは「チームアユミ」と呼んでいました。
次の東京で開催されるプレミアリーグまでの1ヶ月半、チームアユミ全員で徹底的に話し合いをされたそうです。
特に、日本代表の本間絵美子コーチとのコミュニケーションが増えたと言います。
以前まではお互いに遠慮していたところもあったと語る本間コーチは、
「苦手とするトレーニングや練習メニューに取り組む際に必要ないと思うところは、ばっさり言うようになった」
と更に語っておりました。
それにより取り組むべき方向性が明確になり、出した答えは
「雑にならないように。ひとつひとつ相手のミスを拾う」 ということでした。
そして見事プレミアリーグ東京大会で優勝を飾られました。
高松中央高監督 崎山幸一コーチ
本日は昭和電工武道スポーツセンターにて、競技力育成委員会主催のジュニア強化セミナーが高松中央高校監督の崎山幸一先生を講師に開催されています。
世界トップレベルの指導をしていただき、参加者は目を輝かせています!#karate #空手 #大分 pic.twitter.com/nOGDBsVc5r— 大分県空手道連盟【公式】 (@oita_karate) February 11, 2020
東京大会で優勝を果たした後、2020年1月プレミアリーグパリ大会で3位決定戦に敗れた歩さんは指導を受けていた本間絵美子コーチを離れ、昨年末からは高松中央高監督の崎山幸一コーチに師事していることを会見で明かされました。
きっかけは2019年11月マドリード大会で1回戦負けをしたことを機に、指導体制の一新を決断されたそうです。
「そのままでは慢心につながると思って、心機一転、自分を見つめ直そうと」
本間コーチとも話し合い、東京五輪直前で異例の挑戦に踏み切られました。
今大会は結果に直結しませんでしたが、
「やり方を変えている中で、昨年の失点パターンをなくすことができた。修正していけば強くなれる」
と語っておりました。
植草歩のメンタルコーチは誰?
植草選手のメンタルコーチを務めているのは鈴木颯人さん(36歳)です。
プロフィール
983年、イギリス生まれの東京育ち。
Re‐Departure合同会社代表社員。
サッカー、水泳、柔道、サーフィン、競輪、卓球など、競技・プロアマ・有名無名を問わず、多くのアスリートのモチベーションを引き出すコーチングを行っています。
鈴木さんがメンタルコーチを目指したのは、自身のうつ病がきっかけだそうです。
2011年、学習塾の社員だった鈴木さんは激務から体調を崩し、病院でうつ病と診断されました。
それをきっかけに脳科学を学び、運動療法を取り入れたことで回復に向かわれました。
スポーツ推薦で入った高校の野球部で挫折した経験もあり、スポーツ選手を精神面で勝利に導くメンタルコーチを目指す決心をされたそうです。
専門学校に2年通い、専門書も読んで指導法を確立させました。
「答えは選手の中にしかない。僕はそれを引き出すだけです。」
鈴木さんの指導の特徴は正解を押しつけないことだそうです。
植草選手との出会い
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2013年、関東学生体重別選手権で敗れた植草選手は、Twitterを見ていて鈴木さんのある投稿に目が止まったそうです。
「この負けには意味がある」
負けたことによって学ぶ重要性について書いた投稿だったようです。
すぐにダイレクトメッセージを送り、相談に乗ってもらうようになりました。
2020年の東京五輪代表を目指すため、大学を卒業した2015年にはコーチ契約をお願いし、本格的に指導を受け始められました。
植草選手と鈴木颯人さんのエピソード
自分は、試合で余裕を失っている。
植草選手が鈴木さんと対話する中で気づいたことの一つだそうです。
それに対し鈴木さんは、本番で自分の力を発揮するコツについて、植草選手にこんな魔法の言葉をかけた。
「思い込みのふたを外すこと」
植草選手はこれまで、
試合は気を張って真剣勝負しなければならない。
という思い込みがあったそうです。
鈴木さんは、精神的な余裕を生み出すために試合での意識を「楽しむ」ことに切り替えるようアドバイスをしたそうです。
そのスイッチが植草選手のチャームポイントともいえる笑顔。
今まで苦しかった全日本の舞台でも伸び伸びと戦うことができ、全日本優勝をきっかけに自信をつかみ、2016年の世界選手権で優勝を果たしました。
東京五輪が迫る現在の関係性
今でも試合の前後には対話をし、課題や悩みを聞き、心を整えた状態で試合に送り出すということをしているそうで、
「ブレーキを緩めるのが僕の役割」
「歩みを止めることなく、寄り添い続ける。」
と鈴木さんは語っています。