2019年4月12日に行われた東京大学入学式での祝辞で話題になった上野千鶴子(うえのちづこ)さん。
彼女はフェミニストな上に発言が極端なので、支持する人は支持するし、批判をする人は批判をします。
今回は上野千鶴子さんのことがよく分かる名言や発言、メッセージをまとめてみました。
上野千鶴子のプロフィール
生年月日:1948年7月12日
専攻:社会学、社会科学、家族社会学、ジェンダー論、女性学
経歴
1972年(23歳):京都大学文学部哲学科社会学専攻卒業
1977年(28歳):京都大学大学院文学研究科社会学専攻博士課程退学
1977年(28歳):京都大学大学院文学研究社会学専攻研修員
1979年(30歳):平安女学院短期大学部専任講師
1982年(33歳):平安女学院短期大学部助教授
1989年(40歳):京都精華大学人文学部助教授
1992年(43歳):京都精華大学人文学部教授
1993年(44歳):東京大学文学部助教授
1995年(46歳):東京大学大学院人文社会系研究科教授
2011年(62歳):東京大学退職、東京大学名誉教授となる
2012年(63歳):立命館大学大学院先端総合学術研究科の特別招聘教授(2017年まで)
2019年4月12日の東京大学の祝辞でもおっしゃっていましたが、上野千鶴子さんが学生のころには「女性学」という学問はありませんでした。
先行研究がない中、上野千鶴子さんは「女性学」という分野を作り、その第一人者として現在も活動されています。
上野千鶴子の東大祝辞:頑張っても公正に報われない社会もある
東大の入学式祝辞で次のように、上野千鶴子さんはおっしゃっています。(2019年4月12日)
あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと…たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
女性受験者と浪人生の受験者が現役の男性受験者よりも不利な扱いを受けていた「東京医科大不正入試問題」に触れての、上野千鶴子さんの言葉です。
要するに、東大に合格できたのは自分自身の努力だけでなく、周りの人たちの助けや努力ができる環境があったからだということです。
この文章だけを読むと、上のように解釈することができます。
やればできる、と思えている君たちのその能力は、君たちが自分で獲得したものではない。それはまわりが君たちに与えてくれた環境のおかげだ。やらせてくれ、できれば褒めてくれ、伸ばしてくれるという環境があってはじめて、やればできる、と思えてきたんだ『サヨナラ、学校化社会』(2002)
— 上野千鶴子bot (@BotUenobot) 2019年4月8日
上のツイートも同じような文脈ですね。
ただですね、上野千鶴子さんのインタビューでは少し違う文脈で「頑張ったら報われる」が語られています。(2016年2月1日)
――それは、女性労働者は「新自由主義(市場原理主義)のカモにされた」という意味でしょうか?
そういうことです。均等法以降、高学歴の女性たちは、男性と同じように働けるようになったと、思っている方もいるでしょう。その前提にあるのは、「頑張れば、努力すれば報われる」とか「能力があれば報われる」という優勝劣敗、自己決定・自己責任の原則を押しつける、新自由主義と呼ばれる「機会均等」の競争原理です。
新自由主義は学校空間から企業社会に至るまで、深く浸透しています。高学歴の女性たちは、頑張って勉強したらいい学校に進むことができた。学校にいるあいだは努力が報われてきたから、この社会に依然として残る差別構造に気づかない。今やエリート女性は、そうでない女性と連帯することが難しくなりました。
20代30代女性は、優秀な人ほど、ネオリベのカモにされやすい。それまでは「努力が報われてきた」と思えるこの世代が、性差別の構造に気づくのは、妊娠・出産であることが多い。ケア責任を持つと、男並みの長時間労働ができなくなりますから。ここで初めて、気づくのです。今の働き方が男に有利にできたルールだと。
出典元:東洋経済 ONLINE
上野千鶴子さん自身のことも含めておっしゃっているのかもしれませんが、優秀な女性は進学(や就職も?)に関して「頑張ったら報われる」と思いやすいそうです。
要するに、進学や就職することに関しては「エリートな人」は性差別を受けにくい社会構造になっているということです。
ですが、妊娠や出産に関しては、まだまだ性差別を受ける社会構造のままだということですね。
上野千鶴子の発言:人生は時間割ではない(生き方の多様性)
不登校についての情報が載っているサイトでの上野千鶴子さんへのインタビュー記事です。
2010年6月21日のものです。
私はいつも、「人間の人生は時間割じゃないでしょ?」と言っています。日本では、人生が時間割になってしまっている。たとえば受験にしても、育児にしても、その「時間」は、そのことに専念しないといけない。なぜ専念しないといけないの? 人間なんて多様性を持った生き物でしょう。遊びも暮らしも、仕事も、いろいろあって当然。バランスが変わって、重心が移ることはあるけど、専念する必要はない。 学校は、教師が管理しやすいように、外から比較・評価されないようにできているシステムです。 いまの大学入試にしたって、ストレートに学校を通ってきた現役に有利で、いったん社会に出て外での経験を持った人がお金をためてから入るようなことはしにくい。企業も、出たり入ったりが難しい。日本型雇用では、中途採用は不利になるようにできています。「時間割」どおりにはいかない人にとって、日本は構造的に不利になるようにできているんですね。
出典元:不登校新聞
女性についてではありませんが、ここでも社会の構造的不利について語られています。
つまり、多数派が進むであろう「王道」が出来上がりすぎていて、それ以外の道を受け入れる柔軟さ(多様性)が日本の社会構造的に不十分であると言いたいのだと思います。
ダイバーシティは、人権とか社会正義のためだけでなく、企業の効率のためでもあります。「ダイバーシティのないところに、新しい生産性は生まれない」というコンセンサスができてきているのだと思うのです。「特集 ハラスメント社会」『現代思想』(2013)
— 上野千鶴子bot (@BotUenobot) 2019年4月10日
また、上のツイートをもとにすると、多様性を受け入れることは企業の利益を上げるという意味でもメリットがあるという考えでもあるようです。
上野千鶴子の発言:女女格差が広がっている
2016年12月6日の、上野千鶴子さんへのインタビュー記事です。
フェミニストの活動の成果もあり、女性の人生の選択が広がっています。
今後アクティブに活動していく女性が増えていくことによってどのような変化が日本にもたらされるかという質問に対して上野千鶴子さんは次のようにおっしゃっています。
現在、日本は少子高齢化と不景気に苦しんでいますから、女性の力で日本社会が変えられるかは分かりませんが、昔よりも女性の選択肢が増えたのは確かです。しかし、この数十年間の日本のネオリベラリズム改革の過程で男女格差だけでなく、女女格差が生まれ、トクをする人とソンをする人に分かれてきました。雇用機会均等法以後総合職で働く女性が増える一方、現在働いている女性の6割が非正規雇用です。新卒の時から、派遣や契約など、非正規雇用の労働市場に投げ込まれる若い女性もいます。そうなるとこのような人たちは婚活せざるを得なくなります。
出典元:TORJA
ネオリベラリズム(新自由主義)とは
政府の規制を緩和・撤廃して民間の自由な活力に任せ成長を促そうとする経済政策。
出典元: (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」
のことです。
簡単にいうと、政府の負担を軽くして自由な経済活動を行おう!です。
新自由主義的な政策を行った日本は、日本郵便や道路公団の民営化、大手銀行の合併、労働派遣法の改正などを進めていきました。(ただ、民営化には裏の狙いがあるともいわれていますね。)
上野千鶴子さんによると、こういった新自由主義的な動きが「男と女の間」の格差だけでなく、「女と女の間」の格差を生んでいるようです。
私は最初、女と男が対立しあっている構造で上野千鶴子さんはフェミニストとして活動されていると思っていたのですが、どうやらそうではないのでは?と感じたツイートがあります。
ジェンダー論の対象とは、男もしくは女という「ふたつのジェンダー」なのではない。「ひとつのジェンダー」、すなわち差異化という実践そのものが対象になる。「差異の政治学」(1995)
— 上野千鶴子bot (@BotUenobot) 2019年4月11日
上野千鶴子botのツイートを元にすると、上野千鶴子さんは元々「女対男」という視点でジェンダー論を語っているわけではないみたいですね。
「差異」で見ているから「女と女」の間に生まれる「違い」にも言及されているのだなと思いました。
上野千鶴子の考え方:子供は必要?おひとりさまの考え方
2018年1月26日の、「ポジティブな老後」を議題に「“ポジティブな老い”を研究、提案する活動コルク『QORC(Quality Of Rōgo Challenge)』のメンバーと上野千鶴子さんとの対談記事です。
親や親族からの「非婚や子供がいなくてどうするの?」という老後に対するプレッシャーを感じているという、コルクのメンバーに対して次のように上野千鶴子さんは語っています。
上野:あのね、女性の老後の決定的な分岐点は、「夫がいるかいないか」よりも「子どもがいるかいないか」なんです。結婚は、いま女にとってたいしたことじゃなくなっている。夫なんていくらでも取り替えられるし、キャンセルもできる。でも子どもという資源があるかないかは、特に老後を考えると、大きな違いです。
ただし、子どもが資源にならないこともあるのよね。いま、子どもの数が少ないでしょ。その子が、海外にいたり、先に死んだりすることもあるし、引きこもりになったりメンタルをやられたら、マイナスになる可能性だってある。QORC:上野さんの『おひとりさまの老後』(文春文庫)を読んでいると、もう、ひとりの方が楽なんじゃないかって気になってくるんですけど。
上野:おひとりさまは自分自身のリスクとコストだけ考えればいいから、計画立てやすいしスッキリはしますよね。
それにおひとりさまは、非婚かどうかより、独居かどうか。家族がいても別居する人は増えているから。ところが日本人は、独居するだけで何か悪のように思うのよ。若い人が独居だと何も言わないのに、高齢者が独居だと「おさみしいでしょうに」って。余計なお世話だよね。
まとめると、
- 老後を考えるとき、パートナーがいるかどうかよりも子供がいるかどうか
- ただし、子供が老後をサポートしてくれるとは限らない
- 「おひとりさま」とは非婚のことではなく、独りで暮らしているということ
なるほど、私はまだ老後のことをこれっぽちも考えていたので、上野千鶴子さんの老後に対する考え方は非常に新鮮でした。
特に「おひとりさま」という考え方は「別居」も肯定するものであっておもしろいですね。
「別居」という選択肢もアリだと言えるところが、固定観念に縛れていなくて個人的には好きですね!
そして、独りでいることに寂しさを感じることについては、個人差がありますよね。
上野千鶴子さんが「独り」に対して恐怖を抱かないのは次のような考え方があるからだと思います。
おんなの運動がつくりあげてきたのは、実のところ、「自立」ではなく「支えあい」である。自立した個人同士だからはじめてお互いにもたれあえる。お互いの支えがあることがわかっているから、安心してひとりになれる。「おんなの運動論」『不惑のフェミニズム』(2011)
— 上野千鶴子bot (@BotUenobot) 2019年4月4日
つまり、上野千鶴子さんは「支え合う」人がいることを前提に「独り」を楽しんでいるのだと思います。
だから、誰にも頼らない完全な「独り」ではなく、パートナーと一緒に暮らさないという「独り」が上野千鶴子さんがいう「独り」だということですね。
上野千鶴子の名言(迷言)
これが平成31年度東京大学学部入学式で祝辞を述べた上野千鶴子氏の過去の発言…(wikipediaより引用)#東大入学式2019 pic.twitter.com/XEIeOH5J9p
— ハムスター提督(大将)柱島@にゃんぱすー( T_T)\(^-^ ) (@hamhamsters) 2019年4月12日
上の画像はwikipediaを引用したものです。
前後の発言を見ていないのでなんとも言えませんが、非常にインパクトのあるワードを投げられています(笑)
この他のインタビューや対談を見ていけば、部分的に切り取れば記憶に残りやすい極端な発言がもっと発見できるかもしれませんね。