フェンシング サーブルで2020東京オリンピック代表の江村美咲(えむらみさき)選手。
両親ともに日本代表歴を持つという超エリート一家出身の「サラブレッド」として注目されています。
今回はそんな江村美咲選手の
- ご両親
- ご兄弟
についてまとめてみました。
江村美咲の父(江村宏二)は元日本代表!フェンシングの経歴や実績は?
江村美咲選手のお父さんの名前は江村宏二(えむらこうじ)さんと言います。
まずはこちらが江村宏二さんの競技歴です。
競技歴
1981年〜1994年 フェンシング競技日本代表選手
1988年 第24回 ソウルオリンピック競技大会 男子フルーレ個人・団体 出場(予選敗退)
1987年,1988年,1992年 フェンシング全日本選手権個人優勝
江村宏二さんの経歴・フェンシングを始めたきっかけ
1961年 大分県大分市生まれ。
宏二さんは、高校2年生に時にを本を読み、独学でフェンシングの基礎を学ばれました。
本当であれば、しっかりとした指導の元で習いたかったそうですが、教えてくれる人がいませんでした。
仕方なく、友人と2人で本を買い、最初の構えから、突き、防御などをまねるところから始められたそうです。
宏二さんはとりわけ勉強ができる方ではなかったそうですが、当時フェンシングが最も強かった中央大学に自身の進路を決められました。
高校3年生の時は、中央大学に進学する為、顧問の先生の家に泊まり込んで勉強を教えてもらったそうです。
中央大学に見事合格し、フェンシング部に入ってからはチームの練習とは別に、都内のクラブチームを掛け持ちされたそうです。
これまで独学だったフェンシングの基礎を見つめ直し、技術を磨いていかれました。
そのクラブで、1976年モントリオール五輪日本代表選手のバッグを目にした宏二さんは、
「格好いい。僕もあのバッグを持ちたい」と五輪への夢を具体的に膨らますことができ、五輪を目指すきっかけになったそうです。
1983年 中央大学卒業後は、国体強化選手として群馬県・山梨県庁に所属(採用)されました。
そして1988年ソウル五輪 男子フルーレ個人・団体の日本代表の座を勝ち取りました。
ソウル五輪では予選敗退という結果で終わってしまいましたが、競技人生に中で3度、全日本選手権で優勝するなど輝かしい戦績を残されました。
江村美咲の兄もフェンシング経験者?実績は?
美咲選手のお兄さんについての情報はほとんどありませんでしたが、美咲選手がフェンシングをやるきっかけになったのはお兄さんの影響だということがわかりました。
お兄さんが先にフェンシングを始めており、美咲選手は幼稚園の頃、フェンシングユニホームのハイレグラインが嫌で始めなかったそうです。
ですが小学3年生の時、兄の練習を見ているうちに自分もやりたくなり、両親にお願いして始めたのがきっかけだそうです。
江村美咲選手は、現在はフェンシングでも「サーブル」という種目で活躍されていますが、始めた当初は「フルーレ」という種目をされていました。
フェンシングには、「フルーレ」「サーブル」 「エペ」の3種目があります。
フェンシング太田選手が2分でフェンシングについてわかる「Yuki Ota Fencing Visualized Project – MORE ENJOY FENCING」の動画を配信しています。
もう少し詳しく見ていきますね。
フルーレとは?
背中を含む、胴体のみが有効面となる競技形式です。手足は除きます。
フルーレの攻撃は突きのみで、「攻撃権」が大事となる種目です。両選手のうち、先に腕を伸ばし剣先を相手に向けた方に「攻撃権」が生じます。
相手がその剣を叩いたり払ったりして、剣先を違う方向に逸らせたり、間合いを切って逃げ切ったりすれば「攻撃権」は消滅し、相手に移ります。反撃できる権利を得るのです。
引用 : スッキリ
サーブルとは?
腰から上の上半身全てが有効面となる競技形式です。頭や腕も含みます。
サーブルはフルーレやエペと異なり、「突き」以外に「斬り(カット)」があります。ルールはフルーレと同じで、「攻撃権」に基づいています。
「斬り」の技が加わり、よりダイナミックな攻防を見ることができるのがサーブルの魅力です。
引用 : スッキリ
エペとは?
頭からつま先まで全身が有効面となる競技形式です。攻撃は突きのみです。
先に突いた方にポイントが入り、両選手が同時に突いた場合は双方のポイントとなります。電気審判器のランプの点灯に注目することでどちらの選手がポイントを取ったか簡単に見分けることができます。突いた側のランプが光ります。
エペは単純なルールで、分かりやすい種目といえます。
引用 : スッキリ
ちなみに日本では、フルーレが主流となっているそうです。
江村美咲の母(江村孝枝)は元日本代表!フェンシングの経歴や実績は?
江村美咲さんのお母さんの名前は江村孝枝(えむらゆきえ)さんと言います。
江村孝枝さんの情報はあまり出回っておりませんでしたが、孝枝さんはフェンシング エペ で世界選手権の代表経験あり、とても優れた選手だったそうです。
江村美咲選手とのエピソード
美咲選手は大切にしている言葉があるそうで、それは母 孝枝さんの
「ウサギとカメなら カメでいい」という励ましの言葉だそうです。
フェンシングサラブレッドの家庭に生まれ、美咲選手は結果を出すのにやや遅咲きでした。
そんな時に「一歩一歩着実に」という意味が込めた言葉なんだそうです。
美咲選手は現在、実家住まいだそうで、毎日の食事を支えているのは、母 孝枝さんです。
ネットで公開された食卓がこちら。
色とりどりの品が並び、美咲選手のために毎日いろいろと考えて食事を用意してくれているそうです。
江村美咲の父(江村宏二)のコーチや監督としての実績は?現在は?
続いて、こちらが江村宏二さんの指導歴です。
指導歴
1992年〜2016年 フェンシング競技日本代表監督・コーチ
2008年 第29回 北京オリンピック競技大会 フェンシング競技監督
2012年 第30回 ロンドンオリンピック競技大会
2009年〜2016年 (公財)日本オリンピック委員会ナショナルコーチ
(公財)日本体育協会 公認マスターフェンシング上級コーチの資格を持っていらっしゃいます。
引退後は指導者として、北京五輪では日本代表監督を、ロンドン・リオデジャネイロでは日本代表コーチとして関わられました。
フェンシングが、メディアに多く取り上げられるようになるきっかけを残された、太田選手の活躍もあり、北京・ロンドンで、2度のメダルを獲得を導かれました。
リオ五輪ではメダルが取れず、代表監督を辞任されました。
宏二さんは、8年間、指導者として代表に関わり、頭から離れなかった言葉がありました。
それは、育成。
フェンシングに興味を持った子供がいても、教わる場所が少なすぎるということでした。
代表監督を退いた後、現在は星槎国際高校 川口キャンパスで、子供たちにフェンシングを教えています。
体育の授業。フェンシング。指導するのは元オリンピック監督江村宏二さん。贅沢な時間。#フェンシング #オリンピック#体育 pic.twitter.com/siEljEN24E
— 星槎国際川口キャンパス (@seisakawaguchi) November 1, 2018
その傍ら、生徒が使用しない時間帯には、小学校から子供たちを受け入れてたり、各年代別の日本代表に入れない選手も指導し、代表の底上げを図っているそうです。
上野優佳(うえのゆうか)さんも、江村宏二が指導している選手のうちの一人です。
https://netatori.com/ueno-yuuka-profile/
今後、このような施設を少しずつ増やし、日本代表のコーチングスタッフをしている人が、退いてからの受け皿としても考えているそうです。
「今は東京五輪に向け、国や企業が投資をしてくれる。
当然、メダルを取ることが最優先だが、本当にフェンシングが生き延びるためには
「その後」が大事となる。
現在6000人の競技人口を目標の5万人に増やすため、底辺拡大へ地道に努力することが、8年間お世話になった日本代表への恩返しだと思っている。」と今後の課題を語っております。
そして同時に2020年東京パラリンピックの車椅子フェンシングに対しても強化されています。
フェンシング道場のバリアフリー化を進め、車椅子フェンシング競技者も自由に出入りができる環境を作られました。
驚くべくは、フェンシング競技者と車いすフェンシング競技者合同で練習をすることもあるそうです。
お互いにいつもとは違う間合いやリズムで攻撃をしてくる相手ということもあり、技術的にとてもいい練習になるんだとか。
江村美咲の実家はどこ?
出身は大分県で、父の仕事の関係で小学校5年生の時に東京都板橋区に引っ越してきたそうです。
美咲選手は、板橋区の魅力発信番組に何度か出演されています。
東京五輪開催が決定した2015年からずっと追い続けていた夢舞台に立つことを見事実現されました。
https://netatori.com/emura-misaki-profile/