オリンピックでも毎回話題になる人気の柔道。
柔道66kg階級で上位争いをしている男の1人である丸山城志郎選手。
丸山城志郎選手といえば、ライバルの阿部一二三選手と互角の戦いでオリンピック代表選手内定を争ってきました。
実は丸山城志郎さんのお父さんは、元オリンピック選手の丸山顕志さんなんです!
丸山顕志さんは柔道の選手を引退後、子供たちの指導者や社長などさまざまな経歴を持っています。
今回はそんな丸山顕志さんの経歴や現在についてご紹介していきたいと思います。
丸山顕志(まるやまけんじ)のプロフィール
名前:丸山 顕志(まるやま けんじ)
生年月日:1965年8月21日
出身:宮崎県
現役時代:65㎏級柔道選手(元バルセロナ五輪選手)
丸山顕志さんは2020年1月現在54歳です。
現在は引退していますが、現役時代は65㎏級で柔道家として活躍していました。
丸山顕志さんといえば、「丸山スペシャル」という得意技が話題となりましたよね。
丸山スペシャルとは袖釣込腰の変形技で、その後世界中の選手に浸透していきました。
バルセロナオリンピックの際はオリンピックの代表選手としても活躍した丸山顕志さん。
息子の剛毅さんや城志郎さんも日本を代表する柔道家へと成長させています。
丸山顕志はオリンピック選手だった!
丸山顕志さんは5歳のときに「静充館柔道場」で柔道に出会いました。
「静充館柔道場」といえば井上康生さんなどを輩出した有名な道場です。
丸山顕志さんは柔道としての才能を着実に開花させていき、学生時代には金鷲旗で2位になるなど好成績を残しました。
やはり活躍しているスポーツ選手は、学生時代から大会で好成績を残しているみたいですね。
また進学した国士舘大学でも、新人体重別や正力杯などで次々と優勝していきます。
大学を卒業した後、丸山顕志さんはダイコロに所属をしています。
丸山顕志さんは入社してすぐ実業個人で優勝するかなりの実力派のようです!
しかしその後なかなか世界選手権の代表には選ばれませんでした。
当時丸山顕志さんのライバルには大熊政彦選手や、山本洋祐選手などがいたので代表確定争いが激しかったようですね。
しかし1991年アジア柔道選手権の65㎏級で優勝を果たすと、次々と他の国際大会で優勝を重ねバルセロナ五輪の代表選手となりました。
丸山顕志さんは不調な時期もあったようですが、巻き返してオリンピックの内定を手にしていました!
バルセロナ五輪では7位という結果に終わっていましたが、国際大会や全日本大会での好成績ぶりはさすがですね。
柔道は各階級から1人ずつしかオリンピック代表枠がないため、丸山顕志さんの柔道の実力がかなり高いことがわかります。
【丸山顕志流】息子の丸山城志郎への指導法とは
丸山顕志さんは柔道選手を引退後、「泰山学舎」という柔道場を立ち上げ指導者になっています。
「泰山学舎」では実の息子である剛毅選手や城志郎選手の指導も行っていました。
実は丸山顕志さんの指導法はかなりスパルタで話題なんです。
今回はそんな丸山顕志さんの指導法についてご紹介していきたいと思います。
丸山顕志流指導法①道場での長時間のスパルタメニュー
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丸山顕志さんが学長を務める「泰山学舎」は、全国少年柔道大会などで優勝を重ねる強豪道場です。
「泰山学舎」では、毎日4時間にも及ぶ練習が行われていました。
技術的な面はもちろん、負けない精神力まで鍛えられるようなメニューだったそうです。
また日々の練習に加えて合宿などのメニューもあった「泰山学舎」。
長時間に及ぶ練習は他のどこの道場にも負けない精神力と技術が磨かれるようですね。
丸山顕志流指導方②自宅でも徹底的な足腰強化
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丸山顕志さんは、息子たちに足腰を強化させるためにさらなる厳しいトレーニングをさせていました。
丸山剛毅選手と丸山城志郎選手は宮崎県で生まれました。
幼稚園の頃から柔道を始めた兄弟は、自宅の5階建てのマンションの階段の上り下りを毎日10回ダッシュしていたそうです。
幼稚園のときからそんなに走らされたら心が折れてしまいそうですよね・・・。
丸山家はその後福岡へ引っ越しているんですが、さらに練習がハードになっていました!
福岡県にある大濠公園で毎日ダッシュを繰り返したり、河川敷の上り下りを何度も往復したりしていたそうです。
大濠公園といえばかなり大きいので、毎日走るなんて筆者は考えられません・・・。
またその頃の自宅が高層マンションだった丸山家。
自宅のある27階まで毎日非常階段をダッシュしていたそうです。
27階までらせん階段だったらしく、ずっと丸山顕志さんに監視されていたそうですよ。
丸山顕志さんは足腰を強化させることで、一つ一つの技の強度をあげようとしていたようです。
厳しい英才教育の甲斐もあり、丸山剛毅選手や丸山城志郎選手の破壊力のある内股が作り上げられたことがわかります。
そんな苦しいメニューを幼少期からこなしていた剛毅選手や城志郎選手にぜひこれからも活躍していただきたいですね!
丸山顕志は引退後マルチ商法企業の社長だった!
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丸山顕志さんは柔道を引退後さまざまな会社に携わっています。
なかにはマルチ商法の企業なのでは?と話題になる会社も・・・。
そこで丸山顕志さんの引退後に設立した会社について調査していきたいと思います。
丸山顕志の企業①株式会社丸山スペシャル
丸山顕志さんは現役の柔道選手を引退したあと、1996年に「株式会社丸山スペシャル」という会社を設立します。
事業内容の1つでもある「泰山学舎」の道場経営がメインだったようです。
1999年に「泰山学舎」が開設されてからは、道場はさまざまな大会で優勝し、強豪道場へと成長しています。
現在でも「泰山学舎」ではたくさんの子供たちが練習に打ち込んでいるようですよ。
日本を支える柔道のスター選手が出るのが楽しみですね。
丸山顕志の企業②ノヴァーレ・ジャパン株式会社
丸山顕志さんは2012年に「ノヴァーレ・ジャパン株式会社」という会社に就任しています。
こちらは福岡県を拠点とする企業で主にネットワークビジネスを展開しているようです。
ネットワークビジネスとは、口コミによって商品を拡大していく商法のことです。
別名「マルチ・レベル・マーケティング(MLM商法)」とも言われています。
マルチ商法というと悪徳商法のイメージがありますよね。
ねずみ講とは違いマルチ商法は商品を実際に流通させているため違法ではないんです。
それでもネットワークが重要となる商法なので、家族や友人を失ってしまう事業ですよね。
ノヴァーレ・ジャパンでは主に「コーヒーフルーツcafe」や「ビープラス」などの健康食品を販売しています。
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健康食品や化粧品は消耗品なのでリピート率も高いですよね。
そのためネットワークビジネスを行っている企業が手を出しやすいそうです。
ネットワークビジネスの会社の社長に就任したため、丸山顕志さんに対する世間のイメージは下がってしまいました。
しかしネットワークビジネスは決して違法ではないため、引退後もさまざまな業界に挑戦する丸山顕志さんはやはり努力家ですね。
社長に抜擢されるということは頭が切れるということです。
今後もさまざまな分野で活躍していってほしいですね!
丸山顕志の現在は?
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一時は「泰山学舎」の学長としてメディアにも多く出演していた丸山顕志さん。
しかし現在はあまり露出はされていません。
そこで丸山顕志さんの現在が気になっている方も多いのではないでしょうか。
丸山顕志さんについて調査したところ、現在はネットワークビジネスを辞めていることがわかりました!
最近ではまた「泰山学舎」の学長として大勢の子供たちの指導に打ち込んでいるようです。
息子さんたちが子供のときと同じように熱血指導を行っていました。
技術面だけでなく精神論もしっかりと指導していく丸山顕志さんらしいスピーチですよね。
また全国で丸山顕志さんは講演活動も並行して行っているようです。
道場でのスピーチからわかりやすさが伝わりますよね。
さらに練習メニューも昔と変わらずスパルタです。
倒立状態のまま何分間も維持したり、丸山顕志さんを背負って道場をダッシュしたりしています。
足腰だけでなく体全体を強化させることで、さらに強靭な体を作っているそうです。
今後も「泰山学舎」から世界に通用する選手が輩出されることに期待したいですね!
大勢の子供たちを育てている丸山顕志さんにはこれからも「泰山学舎」を支えていってもらいましょう!
また2021年の東京オリンピックも直前になってきました。
丸山城志郎さんと阿部一二三さんの一騎打ちといっても過言ではない状況となっています。
息子さんの丸山城志郎選手の活躍にも乞うご期待ですね!
といいつつ、丸山顕志さんも向翔一郎さんとトラブルがあったそうですね。
向翔一郎さんのラップ、なかなかにヤバイですね….
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