屋良朝幸(やらともゆき)さんは、ジャニーズ事務所に所属しながら、主にダンサーや振付師として活動されています。
今回は、
- 屋良朝幸さんのジャニーズジュニア時代のエピソード
- 屋良朝幸さんのジャニーズ同期は誰?
といった屋良朝幸さんの過去や若い頃について調べました。
屋良朝幸の昔|ジャニーズにいつ入所した?きっかけは?
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あだ名:屋良っち
生年月日:1983年2月1日
出身地:千葉県
趣味:スキューバダイビング
職業: 俳優、ダンサー、振付師
屋良朝幸さんは、1995年4月25日(12歳のとき)にジャニーズ事務所に入所されました。
ジャニーズ事務所に入所したきっかけは、お姉さんのテレビ番組への応募でした。
ジャニーズ好きの屋良朝幸さんのお姉さんは、TV番組のタイアップに募集していたオーディションに、屋良朝幸さんの名前で勝手に申し込んでしまいます。
オーディションでは、SMAPの「がんばりましょう」という曲を、お姉さんが考えた振り付けで披露しました。
結果、緊張で屋良朝幸さんは力を発揮することができず、残念ながらオーディションは不合格でした。
しかし、その場にいたジャニーさんが「踊りがよかった」ということで、1週間後にある別のオーディションに誘われることに。
1週間後、屋良朝幸さんはオーディションを受けに行ったのですが、そこはオーディション会場ではなく、コンサート会場(リハーサル)でした。
なんと、ジャニーさんと面談した後に、そのままコンサートに出演するという流れになりました。
ダンスに関しては、その場で振付師の指示にしたがって踊ったそう。
やはりダンスの才能があったのだなと思わされます。
コンサート終了後、屋良朝幸さんはジャニーズ事務所に入所することになりました。
屋良朝幸のジャニーズ同期は誰?
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屋良朝幸さんは、「タッキー&翼」の滝沢秀明さんや今井翼さんと入所日が1995年4月25日と同じです。
つまり、同期は滝沢秀明さんや今井翼さんの2人です。
滝沢秀明さんは1982年3月29日生まれ、今井翼さんは1981年10月17日生まれ、屋良朝幸さんは1983年2月1日生まれです。
滝沢秀明さんと今井翼さんは同級生で、屋良朝幸さんは「タッキー&翼」の2人より1歳年下ということになります。
あと世代でいうと、「嵐」や「関ジャニ∞」と同じだそうです。
屋良朝幸さんですが、「タッキー&翼」や「嵐」や「関ジャニ∞」といった同世代の人がデビューしていく中、個人として芽が出ない自分を比較して、年々焦りを感じていたといいます。
ちなみに、屋良朝幸さんは後に同世代である「嵐」や「関ジャニ∞」の振り付けを担当することになります。
屋良朝幸はジュニア時代からダンスに没頭していた?
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屋良朝幸さんは10代からダンスに没頭していました。
15歳くらいからダンスをメインでやっていきたいという思いがあり、20歳ぐらいからはダンススクールに通ってダンスの勉強や研究をしておられました。
屋良朝幸さんは、ジャニーズJr.時代には「Musical Academy(MA)」というジュニアユニットに所属されます。
嵐の大野智さんが抜けた1999年に、屋良朝幸さんは「Musical Academy(MA)」に加入します。
「MA」では、選曲や振付を自分たちで行い、ストリートダンスを取り入れたパフォーマンスを披露していたそうでうす。
屋良朝幸さんは王道のアイドル路線から外れたとしても、自分のダンスを磨き続けたといいます。
コーンロウの髪型に鼻ピアスというストリートダンサーのような見た目にもなり、スタッフに怒られたこともあるそうです。
「やりたいことをやるならデビューしてからにしろ」と、とある先輩から言われたそうですが、それでもダンスを追求していきました。
ジャニーズ事務所外のダンススクールにも通い、何度も何度もダンスのビデオを見ては、新たな技を身につけていきました。
2006年(23歳のころ)には、堂本光一さんからの依頼で、ソロ曲に振り付けをすることに。
このことがきっかけで、振付師として活躍され始めました。
2010年11月から2ヶ月間(27歳のころ)、アメリカのロサンゼルスにダンス留学にいくこともあったそう。
「Musical Academy(MA)」では、舞台を中心とした活動がメインでしたが、メンバーの退所が相次ぎ、2012年8月1日(29歳のころ)にグループは消滅することに。
グループ消滅以降も、屋良朝幸さんはひたむきにダンスを磨き続けました。
屋良朝幸の若い頃のジャニーズエピソード
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屋良朝幸さんは、マイケル・ジャクソンの振付師から「渡米しないか?」とスカウトされるほどのダンスの実力の持ち主です。
まさに、世界レベルです。
ダンスは世界レベルな屋良朝幸さんですが、29歳(2012年)になってから
- 手羽先の肉がニワトリだと知った
- 爪切りを29歳になって初めて使った(子供のころは爪を噛み、成人してからも指で爪を向いていたそう)
- テコの原理を知らない
などダンス以外では天然な一面もあるそうです。
また、当時のジャニーズJr.たちに衝撃を与えたという、こんなエピソードもあります。
ある日の練習で、屋良朝幸さんはとある振付師さんから「帰れ!!」と言われたそう。
すると、その言葉に従って、屋良朝幸さんは本当に帰ってしまったといいます。
振付師さんは屋良朝幸さんの後を追って、階段の踊り場で話し合いがされていたと。
この現場をKAT-TUNのメンバー(当時のジャニーズJr.)が見ていて、トラウマレベルで驚いていたそうです。
この話は屋良朝幸さんによると、大野智さんからのとばっちりだったようです。
屋良は「大野くんに言われて知ったんだけど、もともと大野くんがずっと怒られてたのよ」と真相を語り始めます。
屋良は「あの人(大野くん)、怒られても無視するタイプなの。
オレちょうど隣に座ってたの。
そしたら、とばっちりが来るわけよ! 別にオレ、なにもしてないのに!」
と原因は無反応な大野にあったと指摘。
無意味に怒られた屋良は「マジ意味わかんない。帰る。辞める」と部屋を出て行ったのだとか。
しかしながら屋良は、部屋に財布と携帯電話を忘れしまったためすぐに帰れず、かと言って戻ることもできず、「恥ずかしいからずっと踊り場にいた」んだそう。
その後、屋良は説得されて戻ったそうですが、「だから(財布と携帯電話)忘れてなかったらオレ辞めてたよね。完全に辞める気だった」。
出典元:ジャニ研
もしあのとき、財布と携帯を部屋に忘れてたら、屋良朝幸さんによる振り付けの数々はなかったわけですから、本当に忘れ物をしてよかったです。