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美空ひばりの家系図|母や父、弟や妹も凄い人?夫、息子はどんな人物?

昭和を代表する歌姫「美空ひばり(みそらひばり)」さん。

その歌の上手さは誰もが認めるほどで、その歌唱力で多くの人を感動させてきました。

美空ひばりさんは、

  • 8歳の時に初舞台に立つ
  • 9歳のときにNHK『素人のど自慢』に出場も歌がうますぎて不合格
  • 12歳で映画「悲しき口笛」の主人公に抜擢される

とまさに天才少女です。

実はこの「天才美空ひばり」が生まれた背景には、美空ひばりさんの家族の存在がありました。

1989年に52歳でこの世を去るまで、生涯トップ歌手として活躍し続けた天才歌手の美空ひばりさんは、どのような家系に生まれ育ったのか?

今回は美空ひばりを誕生させた、家系についてまとめてみました。

美空ひばりの父親・加藤増吉

美空ひばりのお父さんは多趣味

美空ひばり(本名:加藤和枝)さんのお父さん加藤増吉さんは、神奈川県横浜市磯子区で鮮魚店を営んでおられました。

増吉さんは、魚屋「魚増」を営んでいましたが、ボクシングに夢中になり、アマチュアの試合に出てしまうという…ちょっと変わった人です。

音楽についていえば、レコードも集めていらっしゃったそう。

流行歌はもちろん浪曲、どどいつ(七・七・七・五という形式の曲)、端歌までたしなむような趣味人でした。

「美空ひばり」が生まれたきっかけ

さらに凄いことに、音楽好きが高じて、「美空楽団」という名前で楽団を作り、楽団に当時まだ9歳の美空ひばりさんを入れて歌わせました。

楽団を作ってまで、美空ひばりさんに歌わせたかったのには実は理由があります。

増吉さんが戦争に出征する時に開かれた壮行会のこと。

美空ひばりさんが「九段の母」という曲を歌ったそうなのですが、出席者はその歌声に感動のあまり涙したそうです。

このような美空ひばりさんの秀でた才能を最初に見抜いていたのは、父である増吉さんだったかもしれませんね。

とはいうものの、増吉さんは美空ひばりさんの芸能界入りは反対だったそうです。

かわいい娘をよくわからないところに行かせたくなかったのでしょうか。

最終的には、増吉さんは美空ひばりさんがデビューしてからは陰で応援をしていたそうですから、娘が大好きなお父さんという感じがしますね。

美空ひばりの父親は常識人?

さらにこんな話もあります。

美空ひばりさんのデビュー10周年の記念公演の頃に、妻の喜美枝(きみえ)さんが気の合わないスタッフをすべて解雇してしまうことがありました。

喜美枝さんは、それが原因で仕事が減るのではないかと不安になったのですが、喜美枝さんは自分からスタッフに頭を下げることができませんでした。

そんな時、喜美枝さんの代わりにスタッフに頭を下げて回ったのは、増吉さんでした。

美空ひばりの両親の仲は悪かった?

美空ひばりさんのお母さんは美空ひばりさんの仕事の関係でべったり付いていたそうです。

そのため、両親が一緒にいる時間が少なくなり、2人の仲はだんだんと悪くなっていきました。

元々遊び人だったということもあるみたいなのですが、増吉さんは寂しさを紛らわすためか、愛人が数人いたといいます。

増吉さんが身体を壊し入院していた時も、面倒を見ていたのは愛人というほどですから、よっぽどですよね。

美空ひばりさんは自分の手記で、母親が自分にべったりで、父親から妻を奪ってしまったことを深く詫びています。

美空ひばりの母親・加藤喜美枝

喜美枝は娘のプロデューサーに

母親の喜美枝(きみえ)さんは、増吉さんが出征中に愛人がいることを知ってしまうことに。

増吉さんが戦争から帰ってきた時に、「自分もこれからは、好きなようにさせてもらいます!」と告げます。

で、その好きなようにした結果が、天才美空ひばりを表舞台に連れて行くことになりました。

喜美枝さんは、昔から映画や舞台が好きで、長女の和枝(美空ひばりさん)に自分の夢をかけようと決めました。

それから喜美枝さんは、マネージャーであり、そしてプロデューサーとして歌手美空ひばりをプロデュースしていくようになります。

喜美枝さんと美空ひばりさんは常に一緒にいて、世間から「一卵性親子」と言われるほどでした。

喜美枝は美空ひばりに厳しかった

喜美枝さんは、美空ひばりさんのことをいつも「お嬢」と呼んでいました。

そのうち「お嬢」という呼び方が広まっていき、誰からも美空ひばりさんは「お嬢」と呼ばれるようになりました。

「お嬢」と呼んでいたと聞くと、なんだか喜美枝さんは娘の美空ひばりさんに甘かったのかと思ってしまいますよね。

しかし、実際は真逆で、喜美枝さんは美空ひばりさんにとても厳しかったそうです。

例えば、体調が悪くて歌えない時や、辛い映画の撮影があった時でも、喜美枝さんは断固として、仕事を休ませることはありませんでした。

その反面、美空ひばりさんが世間から非難や中傷を浴びせられたときは、喜美枝さんは美空ひばりさんの代弁者となり矢面に立って世間からの攻撃から守りました。

厳しいときは厳しい、けど一番の味方になってくれる母親兼プロデューサー。

すごく頼もしくてかっこいいですよね。

影響力のある人物になっていった喜美枝さん

次第に、美空ひばりさんが人気がでてくると、総合プロデュースをする喜美枝さんの影響力も大きくなりました。

なんと、ギャラ、共演者、舞台公演、衣装、会見、全てのスケジュールに口を出すようにまでなってしまうほどです。

関係者の間でよく言われていたのは、美空ひばりさんを説得するよりも、喜美枝さんを説得することに苦労をするということでした。

喜美枝さんは、その力を使って、ひばりさんの弟二人が芸能界にデビューしたいと言った時も、そのデビューする機会を作ってしまうほどでした。

喜美枝さんのビジョンは、美空ひばりさんが生涯トップスターであり続けたように、素晴らしいプロデューサーでした。

今でも語りつがれる異彩の歌手美空ひばりさんは、このプロデュース力で作られたのかもしれませんね。

喜美枝は病気で倒れてしまう

喜美枝さんは、一時、美空ひばりさんと結婚が原因で仲たがいをしてしまいます。

それでも歌手美空ひばりを見捨てることはありませんでした。

そして、喜美枝さんは癌に体を侵されてしまい、入退院を繰り返して危ない状態という時に、美空ひばりさんは、喜美枝さんの手を握りながら5曲を歌ってあげたそうです。

美空ひばりさんは、この時の歌が今までで一番上手に歌えたと、後日語っています。

1981年に喜美枝さんが亡くなり、火葬場で棺がかまどに入る時に、美空ひばりさんは大きな声をあげて一緒にかまどに入ろうとしました。

それを参列していた高倉健さんと萬屋錦之介さんが、必死に止めるほど母親を亡くした喪失感で自分を失ってしまったそうです。

それほど、美空ひばりさんにとって喜美枝さんは、母親であり、プロデューサーとして大きな存在だったのですね。

美空ひばりの弟 長男・加藤益夫

美空ひばりさんには、二人の弟と一人妹がいました。

長男は、本名は加藤益夫さんで、「小野透」の芸名で歌手デビューをし、同時に美空ひばりの映画に出演をして、その後主演の映画も制作されるまでになりました。

しかし、映画会社が解散してしまい、小野透さんも芸能界を引退してしまいます。

引退後、賭博幇助容疑、拳銃不法所持、傷害、暴行、拳銃密輸で逮捕されてしまいます。

それでも、かとう哲也に芸名を変更して、美空ひばりさんの公演に参加するようになりました。

その時に、歌手の円山鈴子さん、後の女優円山理映子と結婚をするのですが、10ケ月で離婚してしまいます。

その時に、二人の間に加藤和也さんが生まれます。

つまり、美空ひばりさんから見ると加藤和也さんは甥にあたります。

それでもまた、暴行罪で逮捕されてしまいます。

そんなことがあって暴力団との関係を報道されるようになって、美空ひばりショーの公演が全国で開催ができなくなってしまいます。

美空ひばりさんが、山口組三代目の田岡一雄組長に可愛がられていたことも影響しているのかもしれませんね。

世間からの厳しい声がありましたが、美空ひばりさんと母親の加藤喜美枝さんは、最後まで長男かとう哲也さんを信じて守り続けました。

この頃に、長男益夫さんの実子の和也さんは美空ひばりさんの養子になり、加藤益夫さんはひばりプロダクションの社長に就任します。

しかし、その2年後の42歳の時に心不全で亡くなってしまいます。

美空ひばりの弟 次男・加藤武彦

2番目の弟の次男の名前は加藤武彦さん。

芸名が花房錦一その後の香山武彦の名前で、俳優と歌手として芸能界で活躍しています。

なかでも、てなもんや三度笠の中仙道編(第54話 – 第90話)にレギュラーで出演をして、コミカルな役がうけて、世間で評判になりました。

そして、テレビドラマや映画に数々出演して活躍をしましたが、1982年に芸能界を引退してしまいます。

その後、飲食店を経営していました。

しかし、偶然にも兄と同じで、加藤武彦さんも1986年、42歳の時に心不全で亡くなってしまいます。

美空ひばりの妹 加藤勢津子

              出典元:オレのトレンド

美空ひばりさんの一つ下の妹・加藤勢津子さんは、家族の中で唯一芸能界に入ろうとしませんでした。

それでも、美空ひばりさんの死後になりますが、歌手としてデビューすることになります。

もともと、ひばりさんと勢津子さんは仲の良い姉妹でした。

でも妹の勢津子さんは母、喜美枝さんとは昔から確執があったようです。

その理由は、父増吉さんが喜美枝さんの妹と深い仲になり、勢津子さんと同い年の子供ができてしまったそうです。

勢津子さんはずっと従姉妹として育ってきましたが、思春期にその従姉妹が異母兄弟であることを知ってショックを受けてしまいます。

そのことが原因で、両親の間で溝を大きくしてしまい、母親が美空ひばりさんの芸能活動にのめりこんでいった原因にもなりました。

勢津子さんから、思い出したくない嫌なことが思い出されるようになり、母親喜美枝さんはひばりさんを溺愛する代わりに、勢津子さんにつらく当たるようになったようです。

そんな時に、父親増吉さんは自分の過ちのせいもあり、勢津子さんの味方になってくれました。

勢津子さんは、本当は歌が大好きで、歌に挑戦するチャンスはあったのですが、歌手には決してならないと考えていました。

それは、身近に美空ひばりさんがいて、とてもかなわないと感じていたからです。

勢津子さんは、姉ひばりさんの熱狂的なファンであり、心から尊敬していました。

しかし、ひばりさんの妹ということで、いじめられたり、嫌がらせを受けたりすることもあったようです。

それが時がたち、勢津子さんの夫が亡くなり、子育ても終わり、ひばりさんが亡くなり、これからの人生を好きな歌で過ごしていきたいと思うようになりました。

反面、美空ひばりさんの輝かしい栄光を汚してしまう心配もありました。

悩んだ末に、美空ひばりさんのヒット曲を歌い繋いでいきたいという気持ちが勝り、佐藤勢津子の名前でデビューする決心をしました。

美空ひばりさんの名曲を、妹が歌い継いでいくことは、ひばりさんも喜んでいることでしょうね。

美空ひばりの結婚相手 小林旭

美空ひばりさんが、母親喜美枝さんと一度だけ反目したことがありました。

それは、小林旭さんとの結婚が理由でした。

二人の出会いは、1961年の雑誌「明星」での対談でした。

その対談以降、美空ひばりさんは小林旭さんを好きになってしまい、どこにいても電話で追いかけたり、パーティの席上で「私のダーリン」と友達に紹介したりするほどに、どんどん好きになっていました。

テレビ出演で共演した時も、憚ることなくダーリンと呼んでいました。

しかし小林旭さんは、結婚に前向きではなかったのです。

その時、美空ひばりさんは可愛がってもらっていた山口組三代目の田岡組長に小林旭さんと結婚したいと相談をしていました。

その年の暮れ、小林旭さんの自宅に田岡組長が訪れ、美空ひばりさんと一緒になってくれと言われて、小林旭さんは首を縦に振りました。

美空ひばりさんが25歳で、小林旭さんが24歳の時に、二人は結婚をしました。

母親喜美枝さんは、ずっと二人の結婚に反対をしていて、「加藤和枝は嫁にだすけど、美空ひばりはやらないよ。」と小林旭さんに言い続けていました。

結婚してからの美空ひばりさんは、小林旭さんのために料理を作るほど、一生懸命につくすようになりました。

歌を歌うことよりも、家庭の幸せを優先してしまっていたということですね。

ですが驚いたことに、二人は事実婚で、籍を入れていませんでした。

そんな時に、美空ひばりさんは、やはり歌を歌うことが忘れられなかったのです。

小林旭さんが幸せな結婚生活を送ろう思い始めた時に、山口組の田岡組長から「別れてやれや」と言われてしまい、その言葉には逆らえませんでした。

母親喜美枝さんは、「人生で一番不幸だったのは娘が小林と結婚したことで、人生で一番幸せだったのは小林と離婚したこと」と語っています。



美空ひばりの息子 加藤和也

美空ひばりさんの弟である、かとう哲也さんには息子の加藤和也さんがいました。

美空ひばりさんは、加藤和也さんと1977年に養子縁組をしました。

実子がいなかったこともあり、美空ひばりさんは和也さんをとても溺愛していました。

しかし、父が亡くなり、叔父が亡くなった後、ひばりさんに反抗してグレてしまいます。

明大中野高校に進学しますが、停学になり中退してしまいます。

それで16歳の時に、ひばりプロダクションの副社長に就任して、翌年社長に昇格します。

加藤和也さんといえば、「マネーの虎」というテレビ番組に投資家として出演されていました。

「マネーの虎」とは、ある起業家のプレゼンに対してに出資するかどうかを決めるテレビ番組です。

この番組の中で、イタリアン料理の店を出したいという起業家に、投資家の中で加藤和也さんだけが980万円を出資します。

そのイタリアンのお店は現在も経営されており、今では店舗を増やすほどに成長しています。

この番組で成功した事例が少ないのですが、そこで実績をあげて、投資家としての先見の明が評価されました。

他にも和也さんは、美空ひばりさんの著作権管理、ひばり記念館を運営しています。

加藤和也さんは、昭和の大スター美空ひばりの栄光を守り、語り継いでいく存在になっています。

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