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樋口一葉(ひぐちいちよう)
※画像は2004年発行のもの(E号券)
明治時代の小説家。
1872年(明治5年)~1896年(明治29年)(享年24年)
本名は樋口奈津(ひぐちなつ)で、樋口一葉(ひぐちいちよう)は小説のペンネームです。
- 10歳のとき、私立青海学校の高等科第四級をトップの成績で卒業
- 15歳のとき、中島歌子の「萩の舎」に入門し、和歌や古典を学ぶ
- 20歳のとき、「闇桜」で小説家デビュー
- 23歳のとき、「大つごもり」を発表する
- 24歳のとき、「たけくらべ」「にごりえ」を発表する
樋口一葉の母親は「女に学問はいらない」という考えをもっていたので、樋口一葉は進学することを諦め、12歳に学校を辞めました。
しかし、落ち込んでいる樋口一葉の姿を見て父は中島歌子の「萩の舎」に入門させました。
そして兄の死、借金をもった父の死からの貧しい生活を乗り越え、小説家デビューを果たします。
小説家の森鴎外(もりおうがい)からも、「たけくらべ」は評価は高かったそうです。
しかし、肺結核で24歳という若さでこの世を去りました。
渋沢栄一(しぶさわえいいち)
江戸時代・明治時代の武士、官僚、実業家。
1840年(天保11年)~1931年(昭和6年)。(享年91歳)
実業界の父、日本資本主義の父など呼ばれており、設立や育成した会社は500社以上だということです。
- 24歳のとき、京都へ行き、一橋慶喜に仕える
- 27歳のとき、パリ万博使節団の一員としてフランスを訪れる
- 30歳のとき、静岡で商法会所を設立する、大蔵省に入る
- 34歳のとき、大蔵省をやめ、第一国立銀行(現・みずほ銀行)の設立を指導する
- 62歳のとき、日本女子大学校を設立する
パリにいる間、経済や金融といった近代化に必要な仕組みの研究を行っていました。
大政奉還により、帰国が命じられ日本の近代化に努めることになりました。
産業を発展させていくためには、お金の流れを作らないといけないということで、いち早く銀行を設立しました。
1972年には紙幣や切手などの印刷を行う紙幣寮のトップに就任し、ドイツで印刷された紙幣(ゲルマン紙幣)を取り扱いました。