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二宮尊徳(にのみやたかのり)
※画像は1946年発行のもの(A号券)
江戸時代末期の農民思想家。
1787年(天明7年)~1856年(安政3年)。(享年70歳)
二宮尊徳(にのみやたかのり)は薪を背負って本を読みながら歩いている銅像で有名な「二宮金次郎」です。(通称:金治郎)
- 5歳のときに濁流により家と田畑が流失する
- 14歳のときに父が亡くなる
- 16歳のときに母が亡くなる
- 伯父の家に住みながら、寝る間を惜しんで読書をする
- 20歳のときに実家の家を修復し、田畑を復活させる
- 22歳のとき、亡き母の実家の経済援助をする
- 多くの村人たちを救済し、復興にも尽力した
- 56歳には幕府の役人として働く
このように子供時代の苦しい時代を努力によって乗り越え、最終的には周りの人たちにを助けてこられました。
銅像やお札になるのも納得ですね。
板垣退助(いたがきたいすけ)
※画像は1950年発行のもの(B号券)
幕末の武士(土佐藩)、明治時代の政治家。
1837年(天保8年)~1919年(大正8年)。(享年83歳)
- 38歳のとき、民選議院設立建白書の提出
- 38歳のとき、立志社の結成(土佐の自由民権運動の中心的結社)
- 39歳のとき、愛国社の結成(全国の政治団体を統合した結社)
- 45歳のとき、自由党の結成
- 60歳のとき、第二次伊藤内閣の内相(旧内務省の国務大臣)に就任
- 62歳のとき、憲政党を結成
- 62歳のとき、第一次大隈内閣の内相に就任
といった自由民権運動の中心人物が板垣退助です。
江戸幕府が倒されてできた明治政府では、討幕で功績をあげた薩摩藩(鹿児島県)や長州藩(山口県)出身の政治家が政権を握っていました。
薩長出身者が中心の政治は国民の意見は反映されず、不満を抱く国民が増えていきました。
そこで、板垣退助を中心に「国民が選んだ議員で政治を行うべき」という民選銀設立の建白書を明治政府に提出したことにより、自由民権運動が広がっていきました。
1898年には日本初の政党内閣である、第一次大隈内閣の内相を務められました。