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高橋是清(たかはしこれきよ)
※画像は1950年発行のもの(B号券)
幕末の武士(仙台藩)、明治・大正・昭和初期の官僚、政治家。
1854年(嘉永7年)~1936年(昭和11年)。(享年81歳)
- 14歳のとき、アメリカに留学するが奴隷に売られてしまう
- 帰国後英語教師をする
- 31歳のとき、農商務省に入る
- ペルーで銀山開発に取り組むが失敗
- 39歳のとき、日本銀行の建築事務主任に採用される
- 40歳のとき、日本銀行西部(九州全域)支店の初代支店長になる
- 51歳のとき、日露戦争の戦費調達のため外積を募集しに海外へ
- 58歳のとき、第7代日本銀行総裁となる
- 60歳のとき、第一次山本権兵衛内閣の大蔵大臣(現在の財務大臣)となる
などなど、アクティブで優秀な人だとわかります。
日本銀行の総裁に加え、総理大臣を1回、大蔵大臣を7回もされています。
「お金」の文字を思い浮かべてしまいそうなところで活躍されていた、高橋是清(たかはしこれきよ)はお札の肖像画に選ばれて当然ですね。
岩倉具視(いわくらともみ)
※画像は1950年発行のもの(B号券)
幕末期の公家、明治時代の政治家。
1825年~1883年。(享年59歳)
- 34歳のとき、廷臣八十八卿列参事件を起こす
- 43歳のとき、王政復古の大号令
- 47歳のとき、岩倉具視使節団を引いて欧米視察へ
岩倉具視(いわくらともみ)は岩倉具視使節団で有名ですね。
ですが、使節団の他にも活躍はされていて、
1858年に廷臣八十八卿列参事件(ていしんはちじゅうはちきょうれっさんじけん)という抗議行動事件が起きました。
日米修好通商条約を結ぶ際、攘夷論(外国を力で排除する)支持者を抑えるために幕府は孝明天皇に許可(勅許)を求めようと、朝廷に議案を提出しました。
しかし、この許可に反対した岩倉具視を含む88人の公卿が、条約案の撤回を求めて座り込みをしました。
この結果、孝明天皇は日米修好通商条約締結反対の意思を示すようになり、岩倉具視は孝明天皇から信頼されるようになりました。
さらには、江戸幕府の力も少し弱まり、朝廷の重要度は高まりました(幕府が実質的権力を握っており、それまでは天皇の権威をできる限り抑えていた)。